最近 「コンテクスト」という言葉を知った。
賢い人のことや 仕事のできる人のことを「一を知って十を知る」と言った事がある
自分もそうなりたいと思っていたし、そうである人のことを尊敬していた。
ところが、果たしてそうか?
一を知って、後の9の事柄は聞かなくても解ってしまう。
それってどういうことか?
その裏付けは 経験、知識、情報、廻りなどの状況・・・(他にもあるかもしれない)
そういった事柄を 自分なりに 自分の頭のなかで データ処理をして 答えを導き出す。
その時の道筋には ある程度の常識、セオリーがあってこそなのかもしれない。
特に 人間対人間の場合。
「暗黙の了解」という言葉がある。
日本人同士なら 共通の知識、常識、情報を持ち合っている事柄が多い。
全くあったこともない人とでも 多少の内容の違いでも、大抵の人は日本の昔話はだいたい知っているし、
世代間はあるかもしれないけど、歌だって 世代が同じなら 同じ歌手や歌の情報は持っている
そういった 情報を共有していれば 話の内容や 歌や歌手の説明をしなくても
ある程度の会話は成り立つ。 
そして日本人の特性として、その共通情報を 自分も共有したいと思うようだ。
よく「そんなことも知らないの?」と子供の頃よく言われた。 
その言葉は 子供ながらに結構キツかった気がする。

ところが、どうも欧米はそうではないらしい。
コンテクストの逆に「コンテント」という言葉ある(コンテクスを調べていたら、出てきた言葉)
 「言葉、数字など耳から聞こえる、目で見える情報」と書いてある。
国土が広大で、多民族 国境を隣接している国々にとって、日本人のような共通情報を
常識のように 共有するということは 現実的ではないようで
だからこそ、自分の言いたいことを 他人に解ってもらいたいと思ったら、とにかく言葉で説明する。
だからか、日本人が1日で発する言葉の数より 欧米人のほうが何倍も多いとどこかに書いてあった。
海外ドラマを見ていても、目上の人に対しても、日本人なら失礼になるから言わないことも
ズケズケと自分自身を主張する場面が出てくる。それに対して、目上である人も
目下が楯突いた事を怒ることはしない。
しっかり最後まで 相手の主張を聞いているようで、楯突いた事自体は問題にしないようだ。
 
その文化の違いが面白い
今はグローバル化の 世界常識の中で どうもそこの所で日本人は 悪戦苦闘しているようだ。
「黙して語らず」が日本人の美徳とするなら、相手の心情など お構いなしに自分を主張するのは
本来の日本人から 一番不得意な分野かもしれない。

この続きはまた。
何時か 気が向いたら 書きます。