<大津・中2自殺>校長「けんかと思った」 いじめ認識否定

問題が起こったときの対処の仕方としては もっとも最悪なやり方、状態。
この場合、上に立つ人間が起こっている問題に対しての問題意識、
危機意識が全く欠けていると言うのも最悪。
もし、どこかで本当は問題意識があったにもかかわらず、
その問題に対して正面から受け止めず、目をそらし 先送りにしていたら?
学校の場合なら いじめをした側 された側は 時間がたてばいなくなると言う事で
問題を見て見ぬふりをしていたとしたら 
「どうせ時間がたてばいなくなる そうなれば問題そのものもなくなる」と高をくくっていたら
これまた最悪
そういう 事なかれ主義というのか 問題の解決能力が欠けている人が上に立つと 
その組織はこうなるという最悪の状態 の典型を見るよう。

違う意味で組織を守ろうという意識、気持ちが強すぎて
一見小さな問題が実は大きな問題であるということが解らなくなっているという事かもしれない。

これは 今の日本に蔓延している致命的が病気のよう。

東電の原発事故を見ていても、その後の幹部の人たちの説明、態度などにも感じるし
政治にも感じる。

日本人って いつからみんなこんなに卑怯者になったのだろう?
問題が起こっても責任をとらない。
というか、責任者、責任の所在が解らない。
ひょっとしたら、解っているのに 外からは解らないように、解りにくいように形作られている?

たとえば自分たちのような飲食店が問題を起こすと、
問題を起こしたのが自分の仕事ではなく従業員であっても当然責任者である店主なり社長が
責任を負う。そして 自分の印象としては 今の時代は特に強く責められる気がする。
もちろん不良品を売って ましてやお客さんの健康を害したのだから 責められても当然、
責任を負うのも当然なんだけど、「そこまで言われてしまう?」と思う場面も時々見かける。
自分が飲食店をやっているからそう見えてしまうのかもしないけど、
だったら、東電なんか もっと 国民全員から責められてもいい気がするけど
東電の見かけ上は ただトップの人が変わったくらいで
事故当時のトップは本当の意味で責任を負うこともなく 
今はまた違うところに再就職したようだし、

今回の会見をしている 教育長だって校長先生だって 別に何らかの責任を負わされるわけではないだろう。
辞めたところで 彼らにとっては別になにも変わらないだろう、
ただそういうことが自分の時にあったということで終わってしまう。

自分の店は自分が主催者です。
だから 何かがあれば主催者である自分が責任を負う。
ところが、東電も、学校も、役所も政治も やっているのは”長”と付く人たちが管理、運営をしているんだけど
決して 彼らは ”主催者”ではない。
たまたま そのとき そういう立場に立っただけだから、
そういう 組織って 仕組みとして 責任の所在とか 責任を曖昧にする
仕組みとしてあるのかもしれない。
もし 本当に責任を求められたら やる人がいなくなるから
そういうことになっているのかもしれない。
そう考えると なんか すべてが理解できる気がする。