前々回かいた 命にかかわる病気と書いていた先輩が亡くなった、
先週の火曜日連絡があって 金曜日に横浜までお通夜に行ってきた。
まだ56才。
去年の2月に友達から話を聞いてショックと受けて
でも、病気が病気なだけに 自分としては何も出来ず
それからすぐ大震災が起こって、菓子学校時代の友達が被災して
そんな事もあり、棚上げのような形になっていて
ところが8月の終わりに先輩から電話があり、
9月から 店を再オープンさせるという事で
丁度 自分の夏休みと重なったのでお邪魔して会ってきたのが
結局最後になってしまった。
その時ですら随分辛そうだったので、大丈夫か心配していたら
話を聞くと 2週間しか出来なかったと奥さんが言っていた。

先輩とは自分が修行させてもらった東京のお店の時の先輩で
随分、仕事を教えてもらった。
焼き菓子はほとんど その先輩から教えてもらった。
後楽園に野球を連れて行ってもらったり、
呑ませてもくれた。
いろんな話をして、曽野綾子とか遠藤周作とかの本も教えてもらった。
その頃から、先輩は宗教的な、何かを探していたみたいで、
それからすぐ、「幸福の科学」に行き着いたようで
その頃はまだ 多分幸福の科学とは言っていなかったとも思う、
大川隆法の本を何冊か読んでいて、「この人は素晴らしい」とよくいっていた、

幸福の科学や大川隆法の話はさておき、
先輩にとってのこの宗教は 今考えると本当によかったのかも知れない。
8月の終わりに 電話をくださったときも
「こうやって退院出来たのも、信仰のおかげだよ」と言っていたし
いろんな不安や病気になって 身体の苦しみも含めて 心のよりどころがあった事は良かったのかも知れない、
多分、信仰というのはそう言う物なんだろうと思う。
お葬式は当然、幸福の科学の教会でやったんだけど
同じ信者、仲間の人も随分 参列されていたようで、
そう言った人との繋がりが出来た事も 先輩にとっては良かった事だったのかも知れない。

そう書いておきながら、なんで先輩は56才という若さで病気になどになって死ななくてはならなかったのか??
「運命」「その人の寿命」 宗教的に言われると「生まれる前から決められていた事」とか言うけど、
なんか そんな言葉では納得がいかない感じがある。
ここ数日 疑問にもならない疑問が頭の中を 堂々巡りしている。
病気になった事も、それで亡くなった事も 誰の性でもない。
確かに運命という言葉以外は思い当たらない、
でも・・・・でも・・・と考えてしまう。

人が生きてきた道程を思い返して、「もし・・・あの時」とか思っても仕方がないし、
そこにもどってやり直す事など出来ないし、その時はその時でそれがベストだと思ってやっているわけで、
それを何十年もたってから後悔してもどうしようもない事だけど、
もし先輩が 自分が修行した店で働かず、その店の社長とも出会わなかったら
全く違う人生になっていた、当然 自分とも奥さんとも知り合わなかったけど
ひょっとしたら、宗教に走る事も無かったかもしれない。
病気と働いた店や社長や宗教は無関係なんだろうけど、
どんな路を選択していても、事故とか何かではなく 病気なのだから56才で亡くならなくては
いけなかった事は変えられない事なのかもしれないけど、
もし・・・もし・・・・・
そう言った道のりの中の出来事が 病気の一因になるとしたら・・・

どうだったんだろう???と考えてしまう。
自分だって、先輩は56まで生きたけど、こう書いている自分が56まで生きている保証はない。
ひょっとしたら、来年の今頃はいないかもしれない。