店をやっていると いろんな人がいろんな話をしてくれる、
ケーキ屋ですら こうなんだから 昔ながらの飲み屋さん、
バーやスナックとなれば ただ酒飲んで、つまみを食べて
カラオケして・・・ということばかりではなくて、
たぶん、お客さんはそのお店の人に いろんな話をしていくのだろう、

一番多いのは愚痴だろうか?
上司とか部下や自分の奥さんとかの人や会社の愚痴や悪口、
自分がいかに大変な思いをして 日々を過ごしているか

悩み
家族の悩み、子供の進路などの悩み、
嫁 姑の悩み(愚痴)

自慢話、
いかに大変な仕事をしていて(苦労話)
自分がどれほど大きな仕事をして、すごい手柄を立てたかとか
なかなか普通の人では行けないようなところに行って
会えないような人に会ってきたとか
こんな珍しいものを食べてきたとか、見てきたとか

往々にして、店をやっている人間は 下に見られがちで
「あなたのように こんな小さな店をやっている人にはわからないだろうが・・」
「あなたは知らないだろうが・・・」
「あなたは行ったことがないだろうが・・」
などの 前台詞が聞こえてきそうな、

まあ、ほかのお店の人は知らないけど、
自分はほとんど店から外には出ないから
あながち、この前台詞は否定できないのは確かなのですが

たまに そんなに馬鹿にしなくても・・と思う失礼な人もいる、

でも 店を長年やっていると そういうのにも慣れたし、
ときどき 「イヤ 自分はそれを選択したんです」と
言いたい時もありますが
強く否定できるほどのものがないから
黙って聞いている。

だけど、本当にいろんな人がいる。
一つ言えることは、ケーキ屋の店先で話をしていく人は
さびしい人、ちょっとスランプな人 のような気がする。

自分が調子がいい時は 店の人間など目に入らない、
ただ買っていくだけ、それ以上のことはない。
それが 話していくのだから その内容はいい話ではないし、
たとえそれが自慢話でも、
人に自慢がしたいという気持ちは 逆に言えば淋しいからで、
自己顕示がしたいのだろうし、とにかく話がしたいからなのだろう。

そういう話を聞いて
自分たちにあてはめる、
何が幸せで、何が不幸せか、
何を大切にしなしくてはいけなくて、
何が不必要なのか。

まあ 良く聞くところの どんな人の人生も最後はトントン
プラスマイナス0(ゼロ)ということだろうか?
得るものが大きければ 犠牲にするものも大きいし・・・・。

でも それとて人それぞれの定義による。
たとえば「あの人はすごい」と思ったり、言ったりするけど
その「すごい」とするところの定義も人それぞれだし、
同じ人を見て「あの人は素晴らしい」という人もいれば
「あの人は最悪だ」という人もいるかもしれない。

またその定義は 年月、年齢 環境によって変わっていく。

結局 その時 その人が 何に対しておもむきを置いているかで
見え方 感じ方がずいぶん変わるということで、

自分自身 何を善しとするか 
人さまの話を聞きながら
「不惑の40歳?50歳?」といわれるけど、
いくつになっても 人は迷っているし
自分自身も心の中は 大いに迷っている 今日この頃です。