当店のある場所は、岐阜県可児市ですが、東濃地方に属していまして、
隣が、多治見、土岐、瑞浪に隣接していまして、陶芸好きなお人でしたら、おわかりになるでしょうが、美濃焼で有名な場所です。
ですから、陶器商をやっている友人もいますし、お客様で有名な陶芸家の先生も来られますし、作家と言われる陶芸家はこのあたりにはたくさんおられます。そんな方々を見ていて、何がどう違うの??陶器の目的は、器とが花瓶とかのいわゆる道具。片方で何十万、何百万もする器もあれば片方で、100円、200円で売っている、目的は同じ。食べ物のように材料が違うとか、サービスが違うとか明らかな違いがわかれば値段の違いはわかるけど、陶器は土で作る物、違いと言えば作った人が違う、製法が違う。でも、彼らが作る物は「作品」であり、「芸術作品」で、何百円で売られている物は「商品」。これが天と地程の違い。
以前、人間国宝の先生が、窯から出てきた自分の作品を、次々と金づちで壊していて、残ったのが1個か2個、後はすべて穴に埋めてしまっていたところを見ました、最初意味がわからなかったですが、その先生の作っている物は「芸術作品」で自分の満足しない作品がこの世にある事は許されないのです。「作品」はその域までには達してはいないけど、作家が1個1個自分の全勢力を込めて作った物で、いわば作家の分身の様な物が作品だと思います。「商品」は言う事はありませんが、作り方としては機械で型を使って、ハンコでも押すように、作っていく物ですべてが利潤追求。
いかに安く作って、いかに売るかが大切な物。
ケーキ屋もいろんな商売の仕方があるし、いろんな考え方の人がいるから解りませんが、自分が修業した東京の店、「パーラー ローレル」の社長はご自分のケーキを「芸術作品」にまで高めようとしております。ですから、多店舗化などしないで、じっくり、じっくり作っています。自分はその域にまでには到底いけませんが、少なくとも「作品」にしたいと思っています。
ケーキも芸術の世界と同じように、いかに自分の世界を作るか、作れるかが、大切なような気がします。
コンビニのケーキ、大手のケーキ(工場で一括して作られるケーキ)、個人店のケーキ。普通の人から見れば「たかがケーキはケーキ」違いなど紙一重の所だと思います。買って値段相応なら別に言う事がないでしょう。でも、その世界で生きている自分たちはその紙一重にこだわらないと、自分たちの存在価値がなくなってしまいますから、頑張らないとアッという間に消えなくてはいけません。