洋菓子店ラ・パニエ お菓子日記

ラ・パニエの仕事、新作ケーキ ケーキ屋の裏話など・・。

誕生日ケーキ

今日作ったケーキ
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今日作ったハロウィンケーキ
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かぼちゃ入り
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焼き上がり。

スマホ

昨日ちょっと家電量販店に行って タブレット端末と携帯を見てきた
両方ともほしい気がするが 
両方とも安くはない。
この前 ノートパソコンを買ったばかりだし、
携帯もスマホに変えたい気がするが
外に全く出ない 携帯にろくに電話もかかってこない
かけもしない自分。
壊れていない今の携帯でいいかと思いながら見ていたら
店員のお兄さんが声をかけてきた
ちょっと話を聞いたら 「では今のご利用状況を見てみましょう」というので
見たもらったら
9月で基本使用料の980円と使用料880円
この前 ネットとメールの契約もやめてしまったから本当に最低料金。

それでも自分としては高い気がしてしまうから
スマホなど持てないと理解して帰ってきた。
それにしてもみなさん 聞くと普通に一人一万くらい払っているのをよく聞く
仕事で必要な人はわかるけど
うちでもそうだけど一人一台の時代。
通信費だけでもすごい金額になる。
今の時代はそれが普通だから 便利な世の中というのはお金がかかる。
それに振り回されて、「お金がない、お金がない」と言っている気もしないでもない。

お金

うちの奥さんが行っている英語教室の先生は25歳のアメリカ人女性、
聞くと多額の学資ローンを抱えているとか、
この前テレビを見
ていたら28歳のアメリカ人男性は1200万の学資ローンを返しているとか、
だから結婚も家も夢のまた夢だと嘆いていた。
よく知
らないけど今そう言う人がアメリカには多いらしい、
日本でも奨学
金を借りて大学に行く人は多いらしいし、
就学援助も最多だと昨日
の新聞に載っていた、
昨日野田政権は新閣僚を発表していたけど、
日本の政治は虚しい。
それに金持ちは自分が想像を絶する金持ちで

貧乏人は想像する以上に貧乏で、
たぶん子供のころから貧乏で若
いころから借金を抱えると一生はずっとお金に困る人生になる気がする。
だから今20代の自殺者も多いらしい。
よっぽどの才能がな
い限り脱却はできない気もする。
中国の暴動もそんなことが背景の
様な気がするし、
世界中が今富める人貧しい人がハッキリしてきて
いて、
富める人たちが世界を動かしているからますますひどくなる

富める人はますます金持ちになる。
どうすれば暮らしやすい、自
分の人生を自分らしく生きられる世の中になれるんだろう?
これが
もっともっとひどくなると 世界大戦が始まる気もしてしまう。
れは発想が飛躍しすぎか。

勉強会

4か月前から 地元農協と「地元野菜を使ってスイーツを作る」という勉強会をやっている、
初回は ナスとトマトを使ったお菓子。
ナスもトマトもジャムにしてみた。
ジャムにすると 濃縮されるから そのままで食べてもいいのだけれど
ケーキには使いやすくなる。
つまりペーストと考えれば ムースでも焼き菓子でもできるのではないかという発想。
「トマトのケーキ」はたぶんどなたも なんとなくイメージできるかもしれないけれど
「ナスのケーキ」は引くと思う。
だからナスは焼き菓子にしてみた、
少しチョコも入れた見たら あまり違和感のない焼き菓子ができた、
もともとナスに特徴的な味があるわけではないので「これがナスのお菓子?」と言われば
その通りで、「入っています」というものでした。

次は「豆乳とおからのお菓子」がテーマで
あるこだわり豆腐を作っておられる お豆腐屋さんに地元大豆で作った
豆乳とおからを分けてもらって、やはりそれも焼き菓子にしてみた
これも違和感なく 美味しくできたと思うし、
計算はしていないけど 普通の焼き菓子よりヘルシーにできているのではないかと思う。
本格的に売るとしたら そのあたりがセールスポイントになる気がする。

明日も第4回の勉強会がある。
今回は里芋と栗。
栗は何とでもなるけど 里芋
ちょっとイベントに使ってもらえるそうだから ぜひ何か考えなくてはならない。
里芋のスイーツなんかイメージわきますかね?

写真は豆乳とおからのフィナンシェ。味は三種類 バニラ、緑茶、メープル
先日農協の方々に200個ほど売ってもらいました。
その感想が明日 聞けるようです。

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「巨人軍は永遠に不滅です。」

と言ったのは 昭和49年 自分が中学2年とき 巨人の長嶋選手が引退セレモニーの時
言ったセリフですが、しばらくはこのセリフは何かにつけて出てきて
その時代もあったのかどうかは知りませんが
今なら流行語大賞になりそうなほど流行った記憶があります。
今までこのセリフは 別に何とも思わず 長嶋選手は「巨人軍は永遠であれ」とおもって
言ったことでしょうが、
最近このセリフをよく思い出すことがある。(ちなみに自分はドラゴンズフャンなんですけど)

巨人軍は不滅、永遠であれと言うのは 裏を返せば「巨人軍その物は不滅で永遠であれ」
と言うことで、その時々の選手や関係者は、巨人が不滅であるためのコマというか
必要な人は必要だけど 必要でない人は必要でないし、
選手一人一人の「個」というのは あまり意味がないというか 巨人にとっては関係のないこと
すべての人間、事柄は 「巨人軍が不滅で永遠であるため」が最優先で重要なこと。
と言う意味。
だから いくら有能な選手で人気があって それまで巨人のために尽くした選手であっても
巨人が不滅であるために働けなくなった選手は不必要。

プロ野球ですし、勝負事ですから、能力が無い、無くなった選手は辞めるしかないのは
当たり前のことで、その後その選手がどういう人生を送り、どうなるかは
もう巨人にとっては関係なくなります。(契約社会なのだから当たり前のことです)

では この巨人軍を「日本国」に変えて、選手、関係者を「国民」に置き換えたら
「日本国は永遠に不滅です」
「日本国が永遠で不滅あるためなら その時々の国民が泣こうが叫ぼうが そんなことは関係ない」
となったら・・・。
まさしく 今の日本です。
福島原発がああ言うことになって 多くの人が避難生活を送り
生活に困り 将来に不安を感じていようとも
日本国のためなら 原発は再稼働する。

いくら危ない飛行機が アメリカから来て 国民が危険を感じようとも
日本国はアメリカとの関係が必要なのだから 
国民の不安より アメリカが言うことが 日本国の不滅のために必要。
沖縄の問題も同じ。

消費税の問題だって、本当はいじめ問題など 国にとってはどうでもいいことで
政治家の目は 国民の目など見ていない。
今 このときに どんなに困っていようが 苦しんでいようが 
見ている先が違うのだから 何もしてはくれない。
だから 自殺者の数は一向に減らないのはその証拠

政治がしてきたことすべてを
「日本国は不滅であること」「それが政治の最重要なことで 目的です」
という言葉に当てはめると すべてが当てはまる気がします。

そう考えてしまうと すべてがむなしくなりますが
「国にとっての国民」「国民にとっての国」
「国があるから国民がいるのか?」「国民がいるから国があるのか?」

原発問題も含めて、将来の日本、100年後の日本をどう作るかを
もう一度、全国民で考え直すときかもしれません。
昨日のニュースで 2030年には労働力が随分減るそうです。
自分は70になっています。
その時日本はどっちの方向を見ながら歩いているのでしょう?
今は「グローバル社会」と言われるけど
世界中でもう いっぱい、いっぱいの所に来ているようです。
経済問題、環境問題も含めて もう一度
「日本は永遠に不滅のために」「世界が永遠に不滅のために」「地球が永遠に不滅のために」
地球人全員で考えるべき時だと思うんだけど

そんなこと 無理か!!

自分の極論を言えば
自分は「滅亡説」って 嫌いじゃない、結構そうなるのならそうなればいいのにと思う。

後30年もすれば 今日本や世界を動かしている人達 多分自分もいない。
その後 日本が、世界がどうなろうともう関係ない。
まあ 人類の歴史という物は そうやって面々と流れてきたんだ。



最悪

<大津・中2自殺>校長「けんかと思った」 いじめ認識否定

問題が起こったときの対処の仕方としては もっとも最悪なやり方、状態。
この場合、上に立つ人間が起こっている問題に対しての問題意識、
危機意識が全く欠けていると言うのも最悪。
もし、どこかで本当は問題意識があったにもかかわらず、
その問題に対して正面から受け止めず、目をそらし 先送りにしていたら?
学校の場合なら いじめをした側 された側は 時間がたてばいなくなると言う事で
問題を見て見ぬふりをしていたとしたら 
「どうせ時間がたてばいなくなる そうなれば問題そのものもなくなる」と高をくくっていたら
これまた最悪
そういう 事なかれ主義というのか 問題の解決能力が欠けている人が上に立つと 
その組織はこうなるという最悪の状態 の典型を見るよう。

違う意味で組織を守ろうという意識、気持ちが強すぎて
一見小さな問題が実は大きな問題であるということが解らなくなっているという事かもしれない。

これは 今の日本に蔓延している致命的が病気のよう。

東電の原発事故を見ていても、その後の幹部の人たちの説明、態度などにも感じるし
政治にも感じる。

日本人って いつからみんなこんなに卑怯者になったのだろう?
問題が起こっても責任をとらない。
というか、責任者、責任の所在が解らない。
ひょっとしたら、解っているのに 外からは解らないように、解りにくいように形作られている?

たとえば自分たちのような飲食店が問題を起こすと、
問題を起こしたのが自分の仕事ではなく従業員であっても当然責任者である店主なり社長が
責任を負う。そして 自分の印象としては 今の時代は特に強く責められる気がする。
もちろん不良品を売って ましてやお客さんの健康を害したのだから 責められても当然、
責任を負うのも当然なんだけど、「そこまで言われてしまう?」と思う場面も時々見かける。
自分が飲食店をやっているからそう見えてしまうのかもしないけど、
だったら、東電なんか もっと 国民全員から責められてもいい気がするけど
東電の見かけ上は ただトップの人が変わったくらいで
事故当時のトップは本当の意味で責任を負うこともなく 
今はまた違うところに再就職したようだし、

今回の会見をしている 教育長だって校長先生だって 別に何らかの責任を負わされるわけではないだろう。
辞めたところで 彼らにとっては別になにも変わらないだろう、
ただそういうことが自分の時にあったということで終わってしまう。

自分の店は自分が主催者です。
だから 何かがあれば主催者である自分が責任を負う。
ところが、東電も、学校も、役所も政治も やっているのは”長”と付く人たちが管理、運営をしているんだけど
決して 彼らは ”主催者”ではない。
たまたま そのとき そういう立場に立っただけだから、
そういう 組織って 仕組みとして 責任の所在とか 責任を曖昧にする
仕組みとしてあるのかもしれない。
もし 本当に責任を求められたら やる人がいなくなるから
そういうことになっているのかもしれない。
そう考えると なんか すべてが理解できる気がする。

ランチ

最近 休みになるとちょくちょく 近場の店へランチを食べに行くんですけど、
金額的には 1000円前後 
混んでいる店もあるし、そうでもなさそうな店もある。
食べに行って感じるのは みんな大抵サービスが良い。
つまり内容が良い、そして 女性が多い と言うか女性しかいない。
奥さんと行くから入れるけど 自分一人なら入れない。
以前、スキヤに入ったら 逆に仕事中らしき男の人しかいなかった。
スキヤだから500円前後をみんなさん かき込むように食べてすぐに出ていく。

男の人、女の人と言うわけではない。
女の人だって タマのタマに 友達同士でランチをしているのかもしれない
普段の昼ご飯は 男の人以上に粗食なのかもしれない。
人それぞれだろうけど、なかなか毎日1000円のランチを食べ歩くというのは無いだろうと思う。
まあ 主婦の人たちからしたら、 タマのプチ プチ贅沢なのかもしれない。

そしてお店側は そんなタマの主婦の贅沢を いかに自分の店に来てもらうか
地元の情報冊子に 広告をしてみたり、
なるだけ 好印象を持ってもらうために 対応がどこに行っても良い、
それに 先に書いたように 内容が良い、そして美味しい。
「この内容で1000円」と思うと
商売人はすぐ計算してしまう。
席数がこれだけあって、今この時間でこれだけ入っていれば ×1000円。
自分達が来る前と 帰った後の時間で来るお客さんの数を 想像で計算すると
大体 店の昼の売り上げはこれくらい。
20坪くらいの店なら 多分2万行くか行かないか だろうか?
料理の原価は ハッキリとは解らないけど、
でも1000円は1000円だから その中の純利益なんか数百円
その中で アルバイトでも 人を使っていれば 経費がかさむ。

皆さん 涙ぐましい努力をしている、ザッと計算しても 儲からない商売をしている。
それでいて、夜 何かの用事で 行った店の前を通ると 車が止まっていない。
昼はあれだけ混んでいた店も 平日の夜では 車が止まっていない。
まあ 一瞬その前を通るだけだから 夜の売り上げがどのくらいあるかなど
全くの想像だけど、
夜になれば 当然夜メニューになるから 昼のような値段ではない。
なかなか 千客万来というのは難しい。

そういっている自分の商売だって 同じような物。
今日のような 朝から嵐のような雨が降っていて 木曜日 

サラリーマンの人たちも この数年で給料が下がったと言っているし
十数年前の サラリーマンの年収の話をするときの平均は450万とか
ちょっと優秀な人だと500万とかと言っていた気がする、
そんな中で600万、700万あると結構楽だという話があったけど、
今のサンプルで出てくる話は400万とか中には400万ない話も出てくる
それに 家族持ちでありながら 生活保護を受けていて 
奥さんのアルバイト収入と合わせて 月20万でやっているという人の話も聞く。
それが まれな人ではないらしい。

そういう世の中なんですよね、今のこの世の中は。
それでも 消費税を上げるという政治。

自分的には 「原発再稼働反対」のデモも大切だけど
目先のことを言えば、「消費税反対」の方が大きい気がするんです。

あらゆる物を買えば 1割の税金が乗っかってくるって
他の国ではもっと高いところがあるという人がいるけど 社会システムが違うから
それとこれを同じに言うのはおかしいと思う、

考えてみて
うちの子はすでに消費税が始まってから生まれた。
うちの子の為に 買ったあらゆる物、
食べ物、衣服 おもちゃ、教育費、すべての物に対して 消費税を払ってきた
それをすべて計算出来るとしたら 「子供一人を育てる」と言う事で
それに合わせて出してきた税金っていくらなんだろう?
 最初は3%が5%となり
10%になる頃には 子育ては一応終わるけど、
これからの人は 子供を育て上げるのに 10%の税金がかかるというのはおかしくないですか?
子供一人を育て上げるのに 総額 2千万とか3千万とかかかると聞きますけど
その1割が税金。
そういうふうに考えるのはおかしいですかね。

収入も減っている 景気も悪い、デフレの世の中。
商売人は涙ぐましい努力をして、サラリーマンはいかにお金を使わないように努力し、
そん中でも 消費税を上げるというのは あまりにも・・の話のような気がする。

何でランチの話から 消費税の話になったのか?
でも すべてが連動しているから、
消費税が上がると言うのが 国会で一応決まったときから
また一段と お客さんの買い方が 小さくなった気がする。
そりゃそうだ。
これから 大増税時代。
10年後の日本はどうなっているんだろう??
まだ 店をやっていられるだろうか??
ランチに行った 店 店も やっているだろうか?

これからも背負っていく物

4号機プールで冷却装置停止=ポンプ2台に異常か、福島第1―東電

原発の再稼働が決まって、着々と準備がされているようで、
経済中心の日本は これから 次々と原発を動かし行くのでしょうが
福島の原発事故は 東電の背負っていく物ではなく 
今生きている日本人全員 どころか 日本人という国籍で これから生まれてくる人たち
日本国籍というものが付いた瞬間から 背負わされる 
重い、重い荷物。

今日本を動かしている人たちの論理は、
こういう物を背負って行くには 「お金」 
これを何十年もお守りをしながら、将来廃炉にしていくためには金が必要なのだから
とにかく経済を大きくして 稼いで行かなくてはならない。
と言うのでしょう。

でも そういう論理って 多分子供にも解る 簡単で単純な論理。
本当に 他の選択肢ってないのだろうか??

そんな中、

【放射能漏れ】141人の尿からセシウム 福島の乳幼児2千人測定 「影響ない」と専門家 - MSN産経ニュース

と言うニュースもある。
そんな事を言われて 若いお母さん達は どう思っているのだろう。
悲しくて、悔しくて、自分の子供の対しての 申し訳なさでいっぱいではないだろうか。

そして、菅さんも野田さんも その他の政治家達も、東電の偉い人たちも
言っている廃炉になるまでの30年 40年後には 自分もだけど
誰もいない。

すべて まだ 陰も 形もない日本人達が 生まれた瞬間から背負わされて その後始末をさせられる。

何か ちょっと違う気がするなー

当店は近くに中学校があり、1km弱の所に小学校があります。
ですから 前の道は通学路になっています。
朝、夕 と大勢の小学生、中学生が店の前を通っていきます。
それで、一応店は「こども110番の店」になっています。

それでなのか、時々小学生がトイレを借りに来たり、水を飲ませてと寄っていきます
特に、入学したばかりの小学1年の子達がトイレをよく借りに来ます。
まあ、自分の子供も出た小、中学ですし、トイレくらい貸すのはかまわないですし、
そういうときはしょうがないですから・・。

それでも「のどが渇いたから水を飲ませて・・」と言う 小、中学生は 違う気がします。
自分達の子供時代 店に入っていって
店の人に水を飲ませろと言うのはちょっと考えられませんでした、
もっと言えば トイレだって なかなか言えません。
言える子、言えない子は当然いるでしょうが、
今の子達は少し、感覚が違うのかな?とその子達を見ていて思います。

そんなことがある中、一昨日転んでケガをしたという小学2〜3年の女の子が入ってきました。
見るとスカートで 両足をすりむいています。
ケガした子の友達が 「ケガしたので手当をしてあげてください」と言うのです。
そうかと思って、店の席に座らせて 傷口をウエットティッシュで拭いてやって
絆創膏を貼ってあげたら 一応「ありがとうございました」といって帰って行きましたが
聞くと その子達の家は もうすぐです。ケガと言ってもそれ程の物ではありません。
自分達の時代なら「ツバ付けておけば治る」と言われてしまう程度の物でした。
でもまあ 「手当してやって・・」と言って入ってきた子供を 「そんな程度・・」とも言えず
手当てしたのですが、もちろん知らない、見たこともない子です。
そういうとき そうやって入ってくることに少し驚き、
でも大体 トイレも、水を飲ませても、そういうときに入ってくるのも女の子です。
ウチがケーキ屋だから 入りやすいと思うのか、今の子は店に入りなれているのか?
ちょっと不思議です。

それでもっと違うと思うのは、別に礼を言ってもらいたいわけではないです。
普通のことだと思っています。
それでも店に入れて、絆創膏まで貼ってあげてたのに、
その親から 何もないというのが これまた不思議です。
親なら見れば 怪我をして絆創膏が貼ってあれば
誰にやってもらった?と思うでしょうし、それが関係のない店の人にやってもらって
と聞けば 一言 言ってきてもいい気がします。

今までも 「助けた」と言うほど大げさなことはありませんでしたが
下校中吐いてしまった子を助けたり、ケンカをして学校を飛び出してきてしまった子を助けたり
他にもいろいろありました。
それなりに 「子供110番の店」の役割は果たしていますが、
それに対して その親たちから礼を言われた記憶が 思い返すとありませんでした。
まあ礼を言われるほどの事もないと言えば無いですが
それはやっぱり「自分の子供が世話になった・・」と思えばの気持ちの問題なんですが。
自分達とはちょっと そういう感覚も違うのかなーと思って書きました。

facebook

最近 全くこのブログはご無沙汰になりました。
 今流行の facebook をやっていまして、
そちらでいろいろやっています。

今流行ですし、世間でいろいろ言われ始めまして、
気が付けば 大企業でも facebookはやっていますし、
そういうところは 上手に使っているようですし、

そういうことなら 自分には何が出来るか??

結局 ブログとそれ程代わり映えはしませんし、
商売につなげられるか?と思ってやってみましたが
現実は厳しく。

しかし、自分の知り合い、友達、その人達の友達、知り合いの人たちと
知り合えたことは facebookの力なのかと思っています。

岩手で被災した友達のいとこさんと仲間になれたりとかして、
そういうところがすごいですね、

こんなほったらかしにしてある ブログにでも 一日数人は来てくれるみたいで
時々 お一人の人が 過去の物を読んでくださるみたいで
更新していないのが 申し訳ない気もしますが

もしよろしかったら 自分のfacebookをのぞいてみてください。
そして、気が向いたら 仲間になってください。

http://www.facebook.com/lapanier

卑怯者

もし 他人から「お前は卑怯者だ」と言われたら
「バカだアホだおまえなんか死んでしまえ」と言われるより、グサリと来る言葉
子供の頃に 親や学校の先生に「卑怯者になるな」と言われた気がするし、
中学くらいの頃 よくやっていた青春物のドラマでもよく「卑怯」というテーマで
物語が作られていた気がする。

あと「いさぎがいい」「いわぎが悪い」と言う言い方がありますが、
時代劇などを見ていると 
侍は腹を切って 「いさぎよく死ぬ」という場面がありますし、
大抵 時代劇に出てくる悪党は「いわぎが悪い」ですね。
それで 大立ち回りになって 主人公の大スター役者に斬り殺される
と言うのがパターンと言えばパターンなんですけど、
結局 悪(卑怯者)は 正義の前にやっつけられると言う

物語ではそうなんですけど、
現実は 卑怯者でいさぎの悪いやつの方が 大金持ちで
人に大迷惑をかけているのに 平気な顔をして
相変わらず 酒池肉林かどうかは知りませんけど
良いところに住み、美味しものを食べている。

それに 自分が一番気に入らないのは
こう言う人たちはいつも 自分は良い場所に置いておいて
「それをヤッタのは 決して私利私欲のためではなくて
もし、自分がこれをしなければ 一般の人たちに迷惑がかかる
困らせることになるからやったんだ」みたいなことを言うこと。
こう言うのを 「卑怯者」「いさぎが悪い」と言うほか何というか!?

昔見た薬害エイズの教授さんの受け答えもそうだったし、
オリンパスの社長達もそうだし、
AIJの社長もそう。
他にも沢山いる。
「自分は悪くない、皆さんをウソをついて騙すつもりも、迷惑をかけるつもりも
悪意も何もなかった。ましてや私欲を増やそうなどとは思っていなかった」
「やったのは 逆に皆さんに良い思いをしてもらおう。迷惑をかけないようにしようと思って・・」
と続いていく。
この言い方はみんな同じ。言葉は違うけど聞いていると同じ事を言っている
とにかく「自分は悪くない」である。

自分は幸い 薬害問題も、AIJも オリンパスがどうなろうと関係ない
でも この人達 あまりの卑怯者、いわぎの悪さに、見苦しさに
関係なくても とにかくぶん殴らせろと言いたくなる。
AIJで 自分達の年金が吹っ飛んでしまった人たちなど
多分 もうお金は戻ってこないだろうから、だったらとにかく一人一発ずつでも
「殴らせろ」と言いたいだろうと思う。

青春ドラマのエンディングは 主人公が その卑怯者である人を殴って
殴られたことによって目が覚めて、と言うか改心して「良い人」になっていく
と言うのもパターンなんだけど、
現実は そう言う卑怯者はこれからも現れるだろうし、こう言う人たちは
刑務所に入ることになっても 決して改心などしない。
と言うのも 現実のパターン。

久々に書きます。

去年の東北大震災が起こって、菓子学校時代の友人も何人か被災してしまって、
仲のいい友達のお父さんが津波で亡くなったり、
岐阜の方に住んでいると 関係ないわけではないけど、直接的ではないし
もし自分に岩手の友達がいなければそれ程思わなかったかもしれない。

しかしテレビで見る震災の報道は あまりにも悲惨 あまりの惨状に
同じ日本人ならなんとか非力ながらも力になりたいと思った人は沢山いたと思うし
実際、ボランティアで現地に行ってがれきの片づけなどをした方も沢山みえた事も
報道などで知った。
そんな中で、自分は現地に行きたい気持ちはあるけど現実は行くことが出来ず
それでも何か出来ないかと思って
丁度1年前から始めた、120円のマドレーヌを100円で販売して
それを義援金にと言う「チャリティーマドレーヌ」の総額が
前回までで18万を超えた。

小さなケーキ屋がコツコツ買ってもらって 総額が18万を超えたといえば
「すごいね」と言ってくださるお客さんもいるけど、

変なことを書きます。
もし、これを読んでくださっている人で18万あって 自由に使っていいと言われれば
何に使いますか?
「じゃあ 18万 震災義援金に寄付します」と言う人は何人いるでしょう??
自分は今パソコンと新しく出たIpadがほしいんですけど、
丁度両方買える金額です。
こんな物を買ってしまえば すぐに消えてしまう金額。
震災が起こったばかりの時 ソフトバンクの社長とかスポーツ選手、有名人、
どこかのお金持ちの人たちが普通の人では考えられない金額を寄付して
新聞などに報道されていました。

例えば1000万円を寄付した人がいて、
自分達がせっせと1万、2万とその都度寄付して総額18万
1000万と18万。
1000万あれば人によって何が出来る?
小さなお店なら出来る金額、家だって買える。車ならかなりの高級車が買える金額、
孫社長は1億でしたっけ?
そんな金額があれば 細々とならもう働かないで暮らしていけるかもしれない金額。

何が言いたいかというと、
あの震災からしたら18万だろうと、1000万、1億だろうと
焼け石に水とは言わないけど、18万と1000万とでは全然違いますけど、
それでも全然足りないお金、
それ程の事なんだと 今回の震災は感じますね。
1億寄付しても何も変わらない、何も出来ない現実。

だからといって 自分達がやっていることが無意味だから止めてしまおうとは思っていません。
これからも、たとえお客さんから「まだやっているの」と言われても
多分、店を閉めるまでやっていこうと思っています。
最初は赤十字に寄付していましたが、前々回からは震災で親を亡くした子供達へ
足長育英会に送っています。
1回でたかが2万そこそこ、たった一人の一ヶ月の授業料にもならない金額ですが
それで誰かに褒めてもらおうとか、何か良いことをいってもらおうとは思っていません。
結局 自分達がやりたいからやっているだけで
それで自分達の気持ちが、「悲惨な目にあった子供達の力に少しでもなっているんだ」と
思いたいからやっている。
残された子供達は寂しくて、悲しくて 不安でしょうがないでしょうし、
残していった親の人たちも無念で辛くて
そんな気持ちを想像するだけで 涙が出てきます。

こんなのはあり?

昨日ある業者さんが来て話していたんだけど、

その人が行くあるケーキ屋さんは 以前は随分評判の店で
人も随分雇っていて 良い仕事をしていたそうで、
そう言うところの人は大体厳しい。
自分自身も一生懸命やっていたそうだけど、
従業員に対しても厳しかったそうで、
その厳しさがどういうものだったのかは解らないけど
薄給でありながら 求める物が厳しくて 労働時間も長いとか
暴力的だったのかもしれないし、
言葉でののしるように怒っていたのかもしれない。
それはわからないけど、
そう言う話は 自分達の業界は時折聞くし 自分の店の隣町の有名店でも
同じような事は聞いて、蹴られるという話は聞いた事がある
だから 自分達の業界は非常に人の入れ替わりが激しい。

それで、本当の理由は外部からはわからないけど、
ある年のクリスマスの数日前に 従業員数人が結託して辞めてしまったそうで
材料も大量に頼んである、予約注文も随分入っているところでやられたから
その店、材料をキャンセル。予約もキャンセルして
それからは信用が無くなったのか、また従業員も入ってこなくなって
今では全く勢いのなくなってしまった店になってしまったとか。


またあるケーキ屋さんはまだ若い店主さんで
強気の「行け 行け」の店だったとかで、
数店舗まで増えたそうだけど、この前行ったら2店舗になっていて
2店舗でも大変だから本店だけに戻そうかと話していたそうで、
なぜかと言えば
とどのつまり人員不足、従業員の能力不足。
それは非常に解る。
パティシエになりたい人は ブームだから沢山いるみたいだし
そう言う店なら働きに来る若い人も多いのかもしれない
ところが、だからといってすぐに戦力になるわけではない。
たかがショートケーキを本当の意味で商品に出来るまで作れるようになるまでには 数年かかる。
それも地道に一所懸命やった人でないと そこまでになかなか行き着けない。
最初に書いた店の従業員さん達がいまどうしているのか 
やっているのか 業界その物からも辞めてしまったのか?それは解らないけど、
昔から従業員の総上がりというのはちょくちょく聞くけど、
でもそう言う事をすると、結局自分にそれが跳ね返ってくる気がする。
また店側も、そう言う事をされた店はいろんな意味で問題があると思う。


解らないけど、子供の教育と同じで 怒るにしても怒り方というのはあるだろうし、
その人のためと思って怒るのか、ただ自分の感情で怒るのか、
自分達の時代はまだ いくら怒られても「我慢」と言うのがあった気がするけど、
今の若い人はよく怒られ慣れていないから難しいと言うのは聞く。
怒られて当然の事をしても、怒り方を間違えると恨まれるかもしれないし、
その人が鬱にでもなられたら大変。
人を雇って やってもらうのは本当に大変だと思う。


今なんか、「新型鬱病」というのがあるらしい。
普段 プライベートの時はなんでもない 普通に生活しているけど、
会社に行ったり、仕事をし始めたり、特定の人の前になると鬱になると言う。
「気分が悪いから帰ります」と言って帰ったら
帰ればもう普通だから 遊びに行ってしまう。
また そう言う人は 自分に原因があったとしても
それを自分が悪いとは認識しないようで 
「すべて会社が悪い。あの人が悪い」になるらしい。

そんな事もある時代。
だから 随分経営者側が従業員に対して 気を遣っているという話もしていた。

そう言う中で、会社、店を大きくしていって、沢山の人を雇い
レベルの高い商品、仕事をして行っている人は本当に頭が下がる。
どうやってやっているのか 不思議でならない。
それに、今は最低賃金というのが決められているし、
人を雇うのなら 社会保険、厚生年金をやらなくてはいけない。
修行だから、見習いだから・・・と言って
数万というわけにはいかない、
掃除も、洗い物も、挨拶もろくに出来ない人にも
十数万出さないといけない、そう言う中で複数人雇い
やっている店って 日にどのくらい売るんだろう??とこれまた
不思議でならない。
入れた人にある程度の仕事が出来るようになるまで育てながら
経営として保てるように 仕事を確保しながら
自分達の生活も当然 成り立たせていくというのは
本当に大変だなと思う。

自分はそれ程の売り上げもないし、
もう、若い人を雇ってやりたいとは思わなくなった。
全く出来ない人が ある程度の仕事が出来るまでになるには
こっちも気を長くして教えていかないと行けないし、
若い人も 本当に腰を据えて「やれるようになるんだ!」と強い意志を持って
取り組まないとなれない。
うちのはそう言う人は来ないし、生半可な気持ちで来られては非常に経営に響く。
こう言うのも現実にある。

尊敬する人

若い頃 「この人はすごい、素晴らしい」とか「こんな人になりたい」とか
「尊敬出来る人」とか 
そう言う思いで ある人を見ていたら、

それから何十年たって再会して、話をしたら
「なんだ、こんなつまらない人で小さい人だったのか、」とか
「なんで あの時 自分はこの人を尊敬して、あこがれたんだろう?」
と思った事ってないですか?

若い頃というのは 割と一方向しか見えてないし、
その頃に たまたまそれまでに出会った人(親、先生など)とは違うタイプだったり
自分が目指す路の 遠い先(距離)にいる人だったり
ましてや、その人の個性が ある程度強烈だと
ついつい引き込まれたりするし、
ある意味 洗脳されやすい

ところがそれから自分だって、何十年とその道を歩き
それなりに人生経験をして、いろんな人と出会う事により
物事に対する見方、見え方、感じ方はそれなりに養われているから
昔尊敬した人が、薄く見えるのかもしれない。

後もう一つ、今この歳になって思い出して考えみれば
歳が10才以上離れていれば、22,3の自分からしたら
ものすごい大人に見えるし、大先輩になるし、
自分が経験していない事を 次々にやったり、話し始めれば
大した事でも、話でもなくても、すごい話になるし
ましてや 自分がその人の事をあこがれていたり、尊敬していればなおさら
何もかも 受け入れてしまう。
しかし、今思い出すと それ程すごい話をしていたわけではなかった気がしてくる

そう書きながら じゃあ 自分はどうだろう??
つまらなくて、小さい人間になっていないか?

元々それ程の人間ではないし 人の上に立っているわけでもないから
そう思う事はないけれど、

でも 「つまらない人間」にはなりたくないな。

巷で噂の・・・

「口コミで徐々に広がり・・・」という話はテレビなどでよく聞くけど、
以前から「本当かな??」と思っていた。
もちろん全くない
わけではないし、
自分の店でも「人から聞いてきた」と言う人がい
ないわけではないから、
でもその良いとされる商品なり店なり何なりの情
報を 
いくら友達でも必要としているか否かは解らないし、
何かの
ついでにそういう話になったとき 
その情報は伝わるかも知れない
けれど、
なんでもないときにわざわざ相手にそのときに不必要な情
報を言うだろうか?と・・・。
それにそれはあくまでも偶然的なも
ので、
それが爆発的に売れるようになるとは到底思えない、

そこに
はやはり一般の人にはわからない何らかの仕込があるような気がする、
そのほんの一部が、
問題になった食ログの「やらせ」のような気がする。
趣味でやっている人もいるかもしれないけど、
そんな親切に行った
先々の店をわざわざ通信費もかかるのに
褒めてくるとは思えないん
だけど、
やっている人と自分とは感覚が違うのだろうか??

権威

いい話を見つけたので聞いてもらうとありがたいです。

ニコニコ動画です。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7390809

落語。

人情話で面白いんですけど、
最後のオチの所の 駄作がなぜ売れるのかをよく聞いて考えもらいたいんです。

前に書いた「物の価値」で書いた

「モノの価値は誰かが 声高らかに上げた瞬間に決まる

たとえそれが石ころであろうと 落書きであろうとゴミのようなものであろうと

その声を上げる者に権威があれば

庶民は一斉に振り向く。」

と言う証明のような話です。

先輩が亡くなった

前々回かいた 命にかかわる病気と書いていた先輩が亡くなった、
先週の火曜日連絡があって 金曜日に横浜までお通夜に行ってきた。
まだ56才。
去年の2月に友達から話を聞いてショックと受けて
でも、病気が病気なだけに 自分としては何も出来ず
それからすぐ大震災が起こって、菓子学校時代の友達が被災して
そんな事もあり、棚上げのような形になっていて
ところが8月の終わりに先輩から電話があり、
9月から 店を再オープンさせるという事で
丁度 自分の夏休みと重なったのでお邪魔して会ってきたのが
結局最後になってしまった。
その時ですら随分辛そうだったので、大丈夫か心配していたら
話を聞くと 2週間しか出来なかったと奥さんが言っていた。

先輩とは自分が修行させてもらった東京のお店の時の先輩で
随分、仕事を教えてもらった。
焼き菓子はほとんど その先輩から教えてもらった。
後楽園に野球を連れて行ってもらったり、
呑ませてもくれた。
いろんな話をして、曽野綾子とか遠藤周作とかの本も教えてもらった。
その頃から、先輩は宗教的な、何かを探していたみたいで、
それからすぐ、「幸福の科学」に行き着いたようで
その頃はまだ 多分幸福の科学とは言っていなかったとも思う、
大川隆法の本を何冊か読んでいて、「この人は素晴らしい」とよくいっていた、

幸福の科学や大川隆法の話はさておき、
先輩にとってのこの宗教は 今考えると本当によかったのかも知れない。
8月の終わりに 電話をくださったときも
「こうやって退院出来たのも、信仰のおかげだよ」と言っていたし
いろんな不安や病気になって 身体の苦しみも含めて 心のよりどころがあった事は良かったのかも知れない、
多分、信仰というのはそう言う物なんだろうと思う。
お葬式は当然、幸福の科学の教会でやったんだけど
同じ信者、仲間の人も随分 参列されていたようで、
そう言った人との繋がりが出来た事も 先輩にとっては良かった事だったのかも知れない。

そう書いておきながら、なんで先輩は56才という若さで病気になどになって死ななくてはならなかったのか??
「運命」「その人の寿命」 宗教的に言われると「生まれる前から決められていた事」とか言うけど、
なんか そんな言葉では納得がいかない感じがある。
ここ数日 疑問にもならない疑問が頭の中を 堂々巡りしている。
病気になった事も、それで亡くなった事も 誰の性でもない。
確かに運命という言葉以外は思い当たらない、
でも・・・・でも・・・と考えてしまう。

人が生きてきた道程を思い返して、「もし・・・あの時」とか思っても仕方がないし、
そこにもどってやり直す事など出来ないし、その時はその時でそれがベストだと思ってやっているわけで、
それを何十年もたってから後悔してもどうしようもない事だけど、
もし先輩が 自分が修行した店で働かず、その店の社長とも出会わなかったら
全く違う人生になっていた、当然 自分とも奥さんとも知り合わなかったけど
ひょっとしたら、宗教に走る事も無かったかもしれない。
病気と働いた店や社長や宗教は無関係なんだろうけど、
どんな路を選択していても、事故とか何かではなく 病気なのだから56才で亡くならなくては
いけなかった事は変えられない事なのかもしれないけど、
もし・・・もし・・・・・
そう言った道のりの中の出来事が 病気の一因になるとしたら・・・

どうだったんだろう???と考えてしまう。
自分だって、先輩は56まで生きたけど、こう書いている自分が56まで生きている保証はない。
ひょっとしたら、来年の今頃はいないかもしれない。

物の価値

ある物語の中のセリフです。

「モノの価値は誰かが 声高らかに上げた瞬間に決まる

たとえそれが石ころであろうと 落書きであろうとゴミのようなものであろうと

その声を上げる者に権威があれば

庶民は一斉に振り向く。

今まで見向きもしなかった物に値段が付いただけなのに

しかし そこから価値はついていく

庶民はあたかも前からその価値を知っていたかのように

どうせ物の価値を見定められる者などいないのだから

価値のわからないものは 誰かが何かを言い出すのを待っている」

権威のある者って 今のよの中だとなんでしょう?
普通に テレビ。
みのもんた。
人気タレント。

かな!?

それで 日本の世の中が回っている。

義父

暮れの30日に義父が亡くなりまして、うちの奥さん埼玉で
ガンだったんですけど、もうずいぶん前から分かっていて
がんセンターに自分で通っていて、どういう治療をしていたのか解らないのですが
自分の父もガンだったんですが、父の時とは随分病気の感じが違ったから、
同じガンでも、ガンになった部分が違うと進行とか様態?様子が違うのかな?と思ったり、。
10年の違いがあるから その間の医療の進歩で違うのかな?と思ったり
ガンと言われば、あと余命どれだけ?と思ってしまうけど、
随分長く普通に生活しているように見えたんですけど、
自分が義父に会うのは年に1回だから、ここ数年は会うたびに痩せていったので、
ずいぶん悪くなっているのかな?と心配していましたら、
12月に入ったら急に悪くなって、入院したので
中旬に嫁が帰って会ってきて、結局その時がお父さんと話せた最後になってしまったんですけど、
それで、年末27日に一度家に帰ってくることになったので、慌てて帰ってたら
もうその時は 意識もはっきりしていなくて、話をできる状態ではなく
翌日にはまた病院に再入院で、ほとんど秒読み状態で
それでも医者は10日くらいは大丈夫だろとはじめは言っていたのが
翌日には「今日、明日」と言われて 30日の朝亡くなりました。

正直 そういう時っていろんな事を というか、自分の都合を考えます。
ケーキ屋としては年末年始。クリスマスが終わって もうひと頑張り、もうひと稼ぎというところで
いろいろ準備をしているところですから、年明けそうそうお葬式となれば それらがパーになってしまうので
非常に困る状態です。予約も入っていますし・・。
結局、火葬場等がやっていないので4日がお通夜で5日がお葬式となって、
とりあえず、2日 3日と商売が出来たのですが、多分迷惑をかけたお客さんがいたのだと思います。

それでも、店としてはクリスマス 年末 正月と商売をさせてもらえたからありがたかったと思っています。
今度は2月、バレンタインが終わってから 四十九日で 行かなくてはならないし
お盆 お彼岸 命日と・・・それに今年は 自分の父の十三回忌もあるので
いろいろ そう言った用事の多い年です。

だんだん、嬉しいこととか、お祝い事とかよりも、悲しいことが多くなってきます。
しょうがないことなんですけど、
いろんなことを考えさせられる年末年始でした。

すっかりご無沙汰

最近 mixiとfacebookをやり始めて、そちらの方ばかりになっていて
こちらのblogは ご無沙汰になっています。

この1年は 本当にいろんな事がありました。
個人的には 子供が高校を卒業して大学生になったとか
後は ここに来て 嫁のお父さんが 病気で非常にまずい状態になってしまっている
もう来月の今頃はいないかもしれないという・・。

周りの話では 修行時代の先輩が 命にかかわる病気になってしまって、
一度退院してきたんだけど、また入院してしまったという話もショックでした

なんと言っても大震災で 友達の事を心の底から心配して
生きていたと言う事が解ったときの、「良かった」という気持ち
しかし、何もかも無くしてしまった彼がこれからどうするか?どうなるか?
非常に心配したんですけど、
本当に友は友を助けるです。友達って言うのは 本当に人生の宝です。
みんながやつの事を助けたいと思って、実際 ケーキ屋の機械から道具をすべて
くれる友達がいて 今月17日から仮設店舗ではありますが
再オープンする事が出来ました。
奇跡のような話です。

後はちょっとショックだったのが、毎週行く近くの魚屋さんが年明け早々に店じまいだそうです。
年齢的にはもう少し出来そうなんですけど、
近くに 安売りスーパーが名古屋から進出してきて、ただでさえ 厳しい経営が
それでとどめを刺されたみたいです。
多分若いときなら 「あーそうか。」と思って、止めてしまう店があっても
そのこと自体をそれ程深く考えなかったと言うか、それ程の知恵がなかったから
ただ「アーそうか」と思うだけだったのが
今は 知っている魚屋さんだから・・・と言うだけではなくて、
「店をやる」と言うのは 当然皆さんいろんな思いがあってやるわけで、
店をやる、やり続けるというのは 想像以上に大変だし、
長くやればやるほど、店に対する「思い」と言うのは深くなっていく物で、
それをいくら「歳だから・・・身体が付いていかない」とか 例えば先輩のように「病気だから・・」という理由は
確かに大きいけれど、それでも店を止めるというのは 本当に辛くて悲しい事。
ましてや、近くにそう言った安売りの店が出来て、根こそぎお客さんを取られてしまっては
確かに資本主義の中で商売をしているのだから、負けてしまえば店じまいは仕方がないとは言え
なんか違う気がする。
何屋にしても 個人のお店をやり続けるのは今に時代 よっぽど何らかの魅力、特徴が無いと
負けてしまうのは仕方がないけど、
それに 今の時代「安い」と言うのは それに勝る魅力はない事も解っているんだけど、
ある日突然、資本に物を言わせて 違うところから侵略して来る。そして
小さいところを殺してしまう。と言うやり方
もっと言うのなら、「勝ち組」「負け組」と言う 言い方があるけど
勝ち組に入っている人は 今のところは良いけれど
そこが来た事によって、負け組になってしまった所に属している人(従業員さんとか)たち
その人達だって 当然家族がいて子供だっているだろうから
悪くすると 働いていたところが潰れてしまったら、その人達だって 非常に困るわけで、
「競争、競争」で「勝つか負けるか」 
進出してきたところにだって、生き残れるか死んでしまうかがかかっているんだろうけど、

なにを甘っちょろい事を言っているんだと思う人もいるでしょう。
あの震災を見ていて、東北の人たちがいろんな形で、テレビなどに出てきて
お話をされたり、生活ぶりを見せてもらうと、
「人間の生きる」「人間の生活」とはなんぞや?と考えてしまう。
片方で高級車を乗り回し、おいしい物をたらふく食べる人もいる。
片方で何もかも無くして途方に暮れながら、寒い寒い仮設住宅で暮らし、
将来を思うと寝られないような思いをしながら暮らしている人もいる。

別に自分は社会主義者でも共産主義者でもない、
自分だって商売をしているんだから 資本主義が人間の本能として悪くないと思う。
でも そこには「思いやり」がないと あまりにも悲しい。

だったらどういう世の中、どう言うやり方をすれば 
すべての人が幸せになれるか?
今日本は 景気が悪い、震災が起こった、放射能の問題はどうなる、
若者の就職が難しい、
高齢化社会などいろんな難しい問題があって
それをすべて解決するには 結局「お金」
金がなければなんにも出来ない。
だから 世界に飛び出して 金儲けをしてこなくてはならない。
でもその金儲けで 非常に辛い思いを沢山している人たちが多くなる
と言うのは 
結局 堂々巡り

解らないけど、そう言う事を 若い人が特に
みんなで これからの人間の生き方を考えるべき時が来た気がする。


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