洋菓子店ラ・パニエ お菓子日記

ラ・パニエの仕事、新作ケーキ ケーキ屋の裏話など・・。

親愛なるヘレンへ、幸福な結婚とは様々な手の一生の物語であるように思います。
それはまず、相手のキラキラする金の指輪をはめる震える手で始まります。
そして相手の恥ずかしそうな手をそっと握りしめる手。
混雑した街で、あるいは映画館の中で握り合う手。
ふざけて相手のお尻をポンとたたく手、
ウエーブした髪にそっと置く手。
そしてそう度々はないけれど、相手への怒りで握りしめたこぶしの手。
生まれたばかりのちっちゃな手を包み込むうっとりした手。
お腹を空かして待つ人たちのために夕食をこしらえる忙しい手。
落胆している手をそっとたたいて励ます楽観的な手。
相手と喜びも悲しみも分け合う手。
病む手をさする健康な手。
肩に置かれた優しい手。
 ”あなたが必要な時は、いつでもここにいますよ”
 という意味を込めながら・・・・。
悲しみに打ちひしがれた手を支える力強い手。
涙にぬれた手に指をからませる、同じように涙にぬれる手 。
祈りの気持ちを込めてつなぎあう手。
そして最後に、もう動かなくなった手の指から、光の失せた金の指輪をそっと抜き取る
震えた手。 

職人の世界は ブラック

敗北倒産

ホワイトデー

さくら野百貨店

こういう時は 納入業者と従業員さんが気の毒だと思う。 ポイントがどうなろうと、それに比べたら ガッカリはわかるけどしょうがない。 言わずもがなですが、お店はお客さんが来て、買ってくれないと いくら老舗でも潰れるときは潰れる。いくら惜しんでくれても、やっていけないほどの収支なら しょうがない。閉まるしかないのは当然で、こうやって競争の中で お客さん自身が 郊外型の新しいお店を選択したのだから、淘汰されていくのが商売の掟。 お店を切り捨てるお客。お客を切り捨てるお店。 お店とお客の関係は 今でいう ウインウインの関係が ずっと続くと良いですけどね。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170228-00000021-mai-bus_all.view-000

働く

娘が働き始めてもうすぐ丸2年。娘の周りで1年、2年で仕事を辞めてしまう人が出始めた。それぞれの理由があるだろうから、辞めてしまう事に対してとやかく言うつもりは無いし、入って働かないと その仕事の内容は分からないからしょうがないけど、思うに、日本の中で働こうと思うと、すごい大雑把だけど、「物を作る仕事、物を売る仕事、事務仕事、サービス業、後は我々の様な職人で自営業」どんなジャンルの仕事でも、最初の4つで構成されていて、自分たちの様な自営業は、自分で全部やらないといけない。人が雇えれば、その人に4つの中のどれかをやってもらう事になる。会社に入ってみて、やらされる仕事が自分には向いてないとか、もっと違う仕事をやりたくなったとか、もっと言うなら、入った会社では実現できない 自分なりの高見を目指すとか。そう言った理由があるのなら、辞める理由になるかもしれないけど、よっぽどブラック企業なら仕方ないかもしれないが、ただイヤだ、辞めたい、と言う理由だけで辞めても、自分でやらない限り、人に雇ってもらうなら、書いた4つの中のどれか、もしくは重複でやらされる。それに 取り扱う商品が変わるだけで、どこに行ってもそんなに変わりはしない。移ってよかったと思うか、移らなければよかったと思うかは、その人自身が感じる事だから分からないけど、仕事だから、稼がないと生きていけないのだから、良くても悪くてもやっていくしか無い訳で、どこかに根をはる様に属さないといけないのだから、イヤだイヤだとは言ってはいられない。若い時は いかに自分が恵まれた組織に属せたかがわからない。
40過ぎたら、もう次のところは非常に難しいらしい。
つまり自分達に次の仕事は無いと言う事で、すでに良いも悪いも言ってはいられない。選択肢はない。

カルテット

「カルテット」っていうドラマを観ていて、その中で出てきたセリフ「志のある3流は4流」って。ぐさりと来た。

キンカン

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浜松でキンカンを仕入れてきました。
買えば500g100円で、凄く安いんだけど、車を走らせていると、誰にも見向きもされないで、沢山なっていました。
ウチは10kgもあれば十分だから分けてほしかった。

浜松 かんざんじ荘

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今日は、風は強いけど 良い天気IMG_0164

別に高級な所に泊まっているわけでもないし、1万円もしないプランでも、だから飛び切りな物が出て来るわけでも無いけど、それで十分。家族で来て、同じものを食べて、同じものを見て、それが 幸せじゃない。

浜名湖 かんざんじ荘

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浜松市舘山寺

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清水富美加「にじいろジーン」降板決定 関テレ「このような結果は残念」

この人のことを とやかく言うつもりはありませんが、
人が社会の中で生きていると、人それぞれの 立ち位置と言うか、座っている席と言うか、
その人がいるから、他の人には座らせない席。
芸能界であろうと、スポーツ界であろうと、一般的な会社であろうと
我々のお店だってそうで、座っていた席を離れれば、その席はたいていほかの人がすぐに座る。競争の中で追い落とされるということだって十分あります。
その人ではなくてはならいないという席は、なかなかない。親が自分の子供の親であることとか、
逆に子供にとっての親と言う以外は、思いつかない。
それくらい、自分の席と言うのは 危ういというか、はかないというか。
別にこの人がいなくなったところで、今は 契約的に仕事的に大騒ぎするけど
そんなのは今だけの話で、現にすでに 彼女の席には 別の人が座ろうとしている。
芸能界と言う競争の激しい世界だから、離れた瞬間 誰かが座って、二度と自分が座っていた席には戻れない。自分の代わりなどいくらでもいる、
それが 解ってか解らずか?
人それぞれの人生だから、この選択が良かったか、悪かったかは
彼女自身が これから自分の人生として 味わっていくことだけど。
自ら離れてしまった席は、座りたくても座れない人のほうが 断然多いということなんですけど、
自分がこの年齢になってきたからなのか?
自分はですが、思ったほど 自分が座れる席の選択は多くはなかったということです。
別に 今座っている席に不満があるわけではありません、誤解なく。
ただ もうちょっと 計画では良い席になるはずでした。
清水富美加「にじいろジーン」降板決定 関テレ「このような結果は残念」

美濃加茂市で栽培したブラッドオレンジ

ピコ太郎また1つ夢かなうサマソニ出演 日本人唯一

物価2%目標の達成

皆さんにとって、何でもないお金の金額っていくらですか?って変な質問ですが、お金は1円であっても大切ですけど、例えば予定外に何らかの理由でお金を財布から出さなくてはいけなくなったとき、1000円なら痛くもかゆくもない、3000円なら痛くもかゆくもない、5000円では?1万円では?3万円・・・、5万円・・・、10万円・・・・。それ以上でも別に・・・・とか。先日亡くなられた松方弘樹さんは スタッフやらなんやらを引き連れて、一晩で何百万使ったとか、そういう話は昔のスターの人の武勇伝として聞きますが、自分の財布になかなか万札は入らないですけど(情けない)、予定外となると、2〜3000円くらいなら、いきなり無くなっても、別に・・・とは思わなくても「まあ ショウガナイ」と思えるでしょうか?5000円となると ちょっと痛いというか 悔しい気持ちになるかもしれません。
自分は見なかったのですが、NHKの番組で 東京の話ですが金券ショップで、普通に山手線の切符を買うんだそうです。例えば渋谷駅から新宿駅とかの切符、と言って差額は10円とか。ハンバーガーとか牛丼は絶対割引チケットで買うとか、それとて差額は数10円、そういう人にとっては100円が予定外に無くなったら大変でしょうか?
食事に行って、別に特別な料理屋さんで食べるわけでもなく、例えばパスタとサラダと、ちょっとした御つまみの様なものとビールかグラスワインくらい頼んだ時、いくらまでなら納得しますかね?3000円以内、5000円は払えますか?それが、気まぐれでたまたま入ったお店で5000円以上の金額を言われたら、どう思って払いますか?自分は ちょっと納得いかない気になるかもしれませんし、入ったことに後悔するかもしれません。
何が言いたいかと言うと、気が付かないうちに 本当に日本人って貧乏になっているんですね。デフレ社会だからと言いますが、それもそうなんですけど、日本人全体で貧乏なんです。
映画で「バブルに行こう」でしたっけ?広末涼子と阿部寛の映画で、広末涼子がバブル時代にタイムトラベルするという話でしたが、その中で、バーかなんかのスカウトする人に、末広涼子がスカウトされて、「絶対、面接に来てね」と手渡されたおカネが3万円だったか。貸し切りの豪華客船の船上パーティーとか・・・それがバブル時代と言えばそれまでですが、「おカネなんか ちょっと何かやればすぐ入ってくる・・」と言う感覚。数万円のおカネに執着していない。それが良いわけではないけど、あまりにもおカネを出し惜しむ感覚が強いと 増々景気は悪くなります。
BSの外国の旅番組を見ていると、テレビが行く店だからと言うわけではなくて、普通の店でも ちょっとしたパスタが2〜3000円とか、生ハム、サラダと何かとワインを頼んで5000円くらいとか、今の日本人の感覚としたら「高っ!」と思うでしょうが、それが普通。そういう感覚があるのなら、日本に来た外国人、何もかもがクオリティが高くて この値段、治安は良いし、日本人は親切だし、彼らにとっては日本は物の安い 良い国なんでしょうね。
それは別にして、やっぱり 本当に日本人の全体の給料をもっと、もっと上げなくてはいけないし、給料が上がれば「何でもないおカネの金額」と言うのを上がるし、そうなれば モノの値段もあげられる、そうなれば安倍首相や日銀が言っている物価2%目標の達成も簡単な気がする。 そんな10円20円惜しむような感覚は 国を亡ぼすと本当に思う。

デフレとは「貨幣現象」なのか?

今は景気が悪いと言われています。選挙での演説は野党は「アベノミクスの失敗」と叫び、安部首相は「道半ばではあるけど、確実に成果を上げていて、地方でも失業率も改善している」と言っていますが、自分のような 下の方の庶民には その成果というのはよくわかりませんが、でも 自分の商売と照らし合わせてみると、決してアベノミクスが成功していて、景気が好転しているとは思えないし、感じないし、どころか 年々悪くなっている気もしなくもないですが、皆さんはどう感じていますかね?
以前にも書きましたが、店をやっていると 非常に視野が狭くなります。他人と話すことや 他から情報を得ることが限られます。
だから、結果が良いと すべてが自分がやったことが良かったんだと思い込み、逆に悪かったら 自分が悪かったと思い込む、
やり方の 良し悪しは 確かにあるんでしょうけど、どんな規模や業態でも 結局は日本の中でやっていることですから、地盤というかフィールドの中が良ければ、物は基本売れるし、いくら良いものを作っても、悪ければ売れないし、
その良い、悪いって何?と聞かれれば、自分のような物品販売をしている者からしたら、「買いたい」という人がたくさんいれば売れるし、「欲しいとは思うけど、今はいらない」と言われれば売れない。また お菓子という物の供給過剰ってのもあるかもしれない。コンビニ、スーパーでも買える、ケーキ屋も多くなった。一人のお客さんの手の引っ張り合い、そういうのもある気がする。そういう事はあらゆる業態である気がする、多くの人が必要として手に入れたいと思っていながら、でも絶対数が限られていれば、その物の値段は高かろうが、確実に売れるでしょう。そういう物を商品として持っている会社はどんなに不景気になっても、日本社会(人類社会)がある限り安泰でしょうね。これからはそういう物を作り上げるというのが 最近よく言われる「イノベーション」ってやつでしょうか。(話は長くなりますが)
安部首相は「デフレとは貨幣現象である」と言いました。
日銀総裁もそういいました。
「貨幣現象って何?」「どういう事?」と思いませんか
貨幣現象って、日本の国の中に流通しているお金の量が足りないからデフレなんだということらしいです。だから 安倍政権になってから 日銀にお金を沢山刷らせました。それでお金の絶対量を増やして、それを世の中に流通されば、デフレから脱却してインフレにさせるという作戦らしいです。でも、刷ったお金を 国民にただで配るわけじゃないから(本当は 特定の世代だけじゃなくて全国民に配れば良いんですけど)政府は日銀に国債を売りました、でも国債は物やサービスではないですから、国民にはそのお金は下りてきません、そこで、日銀は 銀行にもっとお金を我々のような所でもお金を借りさせるためにマイナス金利というのをやりましたけど、
でも、世間は不景気で先行きの見通しがつかないですから、設備投資なんかしないから、お金の借り手はいない。
お金っているのは単純に「物やサービスを買う場合の 同等の価値を表す基準であり、その物を手に入れるための交換券」だと思うから、お金という交換券を増やしただけでは 景気は良くならないと思うんですけど、つまり
総需要の不足という事らしいです。総需要というのは むつかしいコウシャクはありますが、
結局 簡単に 給料が上がってないということ、国民全体で所得が少ないということ。
「儲かっている会社は もっと従業員の給料を上げろ」って話です。
でも、起業も先行きを考えると 仕事に対する投資もできない、だからおいそれと簡単に従業員の給料は上げられない。という論理。
だったら政府は何をすればいいのか、国民全体で納得できる投資って何だろう?と考えれば
道路や橋を 作ればいいのかという話ではなくて、もっと 先行きに希望が持てる投資。
それは 自分はですが、自分は 子供の養育費、教育費を せめて18歳まで 無料にするくらいの
財政支出をすれば、会社が給料を上げなくても、実質的に 今まで子供に使っていたお金が浮くんだから
その分、違うところへお金を使えるわけだし、
そうなれば、少子化問題も解決。
自分はそれが一番 景気回復につながると思うんですけど、他の人はどう考えますかね?

 

終わった後

来週 連休を取るということを書きましたが、開店から去年くらいまでは考えられないことでした。年間で連休を取るのは 年初めの皆さんが仕事が始まってから、せいぜい 定休日を合わせて3日くらいで、年によっては それもなくなる時も。 夏はお盆後の4日くらい。(奥さんの実家に帰るために)それ以外で連休を取ることはまずありませんでした。
でも、まあ ここまでやってきて、子供も働き始めてくれましたから、時を見て 連休を取っていきたいと思っています、
こういう考えになったのも、やっぱり最大は子供の手が離れたこと、子育ては本当にお金がかかりますね。大学まで行かせると、最後の4年はすごいですね。うちは幸か不幸か一人でしたから、複数人いる人に比べればなんですけど、それでも。お客さんで2人、3人、時々4人という人を見ると、うらやましい反面 ちっと寒気がします。うちの近所の人は サラリーマンさんばかりですが、皆さん 多分良いところへお勤めでしょうが、その人たちも なんとなく見てると、子育てが終わると 今までの車ではなくて、ちょっと高級車に変わる気がします。
何が言いたいかというと、話が大きくなりますが、
今 団塊の世代が70歳手前くらいで、その人たちのこれから介護費が莫大になると懸念されてますね。
今回 消費税を見送ったことで、介護費などのお金が削られるという話も。「だから、消費税は上げるべきだった」という人も。
でも、まあ確かに 団塊の人たちが老後を迎えるこの10年から15年くらいは大変かもしれませんが、加えて少子化。
支える世代の人手不足。
でも それとて 永遠に続くわけではなく、その10年から15年ないし20年で 団塊世代はほとんどいなくなります。
そうなったとき、先に書いた 自分たちのような、フッと肩の荷が下りて、チョ〜楽ちんになるのではなかと思って。
確かに 乗り越えなくてはならない山は高いけれど、「やまない雨はない」的な。「明けない夜はない」的な。
その時は 安部さんも 舛添さんも、わけのわからない政治家もいなし、

2年以上ぶりか

ほったらかしてあった、このブログ。
誰に向かって書くのやら??
見ず知らずの人にも読んでもらいたいような
読んでもらった痕跡はほしいけど、
リアクションはいらない気もするし、
たまにはほしい気もするし、
勝手な話。

この2年facebookをやってきて、見ず知らずの知り合いも増えて
実際 お会いしたりすることもあってし、
中学、高校時代の同窓と再会出来たり
なかなか面白い体験をしたし、それはそれで大切にしていていきたい気もあるが、
付き合いが深まってくると、ある程度 話題が制約されてきた気がして
ちょっと窮屈感を覚えてきたのが 正直な話。

この話をすると この人には良いけど、この人はどう思うのだろうか?とか
若い人が友達に入ってくれることはうれしいことだけど
いわゆる「大人の話」と言うのが しずらくなる
別にいやらしい話をするわけではなくて、自分のこの年齢にならないと解らない話
この話は その年齢では まだ早い話と言うのがあるし
そういう話は 弱点的な さらけ出すような話だから
あまり、若い人には聞かせたくない、

そんなこんなで、またこっちで 誰にも読んでほしくないけど
自分の気持ちが解ってくれる人なら 読んでくださいと思いながら
気が向いたら また 何かかくことにしました。 

コンテクスト

最近 「コンテクスト」という言葉を知った。
賢い人のことや 仕事のできる人のことを「一を知って十を知る」と言った事がある
自分もそうなりたいと思っていたし、そうである人のことを尊敬していた。
ところが、果たしてそうか?
一を知って、後の9の事柄は聞かなくても解ってしまう。
それってどういうことか?
その裏付けは 経験、知識、情報、廻りなどの状況・・・(他にもあるかもしれない)
そういった事柄を 自分なりに 自分の頭のなかで データ処理をして 答えを導き出す。
その時の道筋には ある程度の常識、セオリーがあってこそなのかもしれない。
特に 人間対人間の場合。
「暗黙の了解」という言葉がある。
日本人同士なら 共通の知識、常識、情報を持ち合っている事柄が多い。
全くあったこともない人とでも 多少の内容の違いでも、大抵の人は日本の昔話はだいたい知っているし、
世代間はあるかもしれないけど、歌だって 世代が同じなら 同じ歌手や歌の情報は持っている
そういった 情報を共有していれば 話の内容や 歌や歌手の説明をしなくても
ある程度の会話は成り立つ。 
そして日本人の特性として、その共通情報を 自分も共有したいと思うようだ。
よく「そんなことも知らないの?」と子供の頃よく言われた。 
その言葉は 子供ながらに結構キツかった気がする。

ところが、どうも欧米はそうではないらしい。
コンテクストの逆に「コンテント」という言葉ある(コンテクスを調べていたら、出てきた言葉)
 「言葉、数字など耳から聞こえる、目で見える情報」と書いてある。
国土が広大で、多民族 国境を隣接している国々にとって、日本人のような共通情報を
常識のように 共有するということは 現実的ではないようで
だからこそ、自分の言いたいことを 他人に解ってもらいたいと思ったら、とにかく言葉で説明する。
だからか、日本人が1日で発する言葉の数より 欧米人のほうが何倍も多いとどこかに書いてあった。
海外ドラマを見ていても、目上の人に対しても、日本人なら失礼になるから言わないことも
ズケズケと自分自身を主張する場面が出てくる。それに対して、目上である人も
目下が楯突いた事を怒ることはしない。
しっかり最後まで 相手の主張を聞いているようで、楯突いた事自体は問題にしないようだ。
 
その文化の違いが面白い
今はグローバル化の 世界常識の中で どうもそこの所で日本人は 悪戦苦闘しているようだ。
「黙して語らず」が日本人の美徳とするなら、相手の心情など お構いなしに自分を主張するのは
本来の日本人から 一番不得意な分野かもしれない。

この続きはまた。
何時か 気が向いたら 書きます。 

「佐村河内守」 を考える。

自分はクラッシク音楽のことはわかりません。
わかりませんが、それなりに聴くのは好きです。
音楽は全般的に好きです。仕事をしていて、気分で
演歌も聴くし、自分が若いころの歌謡曲も聴くし、jazzも聴くし
気に入ればなんでも聴きます。
でも、その演奏が良いのかどうかはわかりませんし、
クラッシクなら 同じ曲をいろんな楽団や指揮者で演奏されますが
どれも、誰のを聴いても プロが演奏しているのだから
悪いとは思わないし、その差はわかりません。
だから 聴いて 細かいところまで分かる人ってすごいと思います。

そしてこの 佐村河内守という人のことは この事件で初めて知りました。
嫁は 最近雑誌で特集を読んだので知ったと言っていますが、
興味がなかったので 見えてこなかったのでしょう。

それにしても、この人のことを考えると 非常に面白い。
面白いと言っては怒られるかもしれませんが、
実に 今の社会を象徴したような事件(?)だと思います。

自分はケーキ屋と言う職業をしていますが、
ケーキ業界も ”カリスマ”とか言って もてはやされている人がいます。
なぜ、そうなってしまったのかさっぱりわかりません。
昔、料理の鉄人という番組がバブル崩壊の前後くらいで流行りましたが
料理の世界でも それなりにカリスマさんはいるようですが
番組で出てきた人以外は 最近はあまりいないような気がします。

ケーキ業界のそれは まるでファッションデザイナーのように、
「世界的な・・・」と言って、大絶賛されています。
 
昔、父に「食い物屋は 美味しいものさえ作っていれば 必ずお客さんは来てくれる」
みたいな事を言われました。自分も今でもそう信じています。
ところが、今の時代 そんな不味いものは あまりありません。
コンビニケーキだって それはそれで美味しいし、
経営している以上 どこのケーキ屋さんで買っても 不味いものはめったにありません。
それなりに みんな美味しい。
では、買う側はどういう基準で選ぶか、
近く。と言うのは最大の理由ではあるでしょうが、その人の好み。
味だったり、店構えだったり、接客の仕方、お店の人の人柄等々。
それに最近は テレビに出たとか、有名店だとか 
自分が 付けた評価以外の事柄で選ぶ場合もあります。

インターネットが普及しだしてから、世の中の物の売り方、買い方が全く変わりました。
すべての事柄がネットで検索して出てくる時代になりました、
便利ではあるけど、主体性というか 人の主観、考えが あたかも自分の考えのように
取り入れられます。
確かに、物を決める前 ネットのない時代であっても 自分でそれなりに調べることはしたでしょうが
その調べる先も それなりに自分で信頼の置ける人だったり ところだったり 
今は すべてが得点方式になっていて 誰が付けたか解らない得点を基準に決める。

そして、ここ20年位のテレビ。
ネットに押され気味、観ない人が増えたというものの やはり目に訴えかけるものは強い
テレビの影響力は絶大です。
自分達の子供の頃は それほどTV局自信が 自分達の力 影響力がわからなかったのでしょうが
最近は 自分達がいかに影響力があるのか 十二分に解っていて
また こうやれば物は売れるということも解っているようです。
多分、その影響力を知って TV局を使って物を売ろうとする人もたくさんいるのでしょう。
そして、テレビ局側も常に 新しい物、人、事柄を探しています。
そんな中で出てきたこの「佐村河内守」という人。
耳が聞こえない作曲家、広島原爆2世、風貌、キャラクター、あの人の話す内容(物語)
すべては テレビ向き。
飛びついたんだと思います。
そうなれば ほんとうの意味での この人が作曲したとされる曲の良し悪しは 関係ありません。
物語に物語が付いて、良い方向、売れる方向に ひとり歩きしていけば 
今更のように この人の曲とされた 曲をああだった、こうだったという人がいますが
その時は そんな話を聞く耳を持つ人はいませんし、もし言っている人がいれば
言った人が 批判の対象になったんだと思います。

自分はケーキ職人で ケーキ職人からしたら、
すべてとは言いませんが、例えば誰かが「こんな感じで こういう味の こういう外見のケーキを作って欲しい」
と依頼されたら、多分 作れると思います。
極端に ケーキ作りから 逸脱していなければ 大抵の事は形にできると思います。
それが 職人であり、仕事です。
佐村河内守が ゴーストライターに 設計図(?)の様な物を渡して、そこから作っていたとされていますが
このゴーストライターの人は 先生だそうですし、そういう研究もしている人だということですから
多分、時間はかかっても それほど難しい 作業ではなかったんではないかと想像します。
ケーキと音楽 全く違いますが、その道はその道ですから、その世界にいれば
長くやっていれば 作る方法論というのは わかってきますから 作れると思います。
それを その知識とか経験がない人からすると、その世界にいる人からすると当たり前のことが
凄い事、素晴らしいことになってしまうようで、
またテレビの番組になれば 素晴らしい演出をされますから、見る側は大絶賛
そういう、大絶賛させる 方法論を知っているのもテレビ局です。

そういう 作り手、売り手、買い手の三者の思惑が 上手く折り合ったというか 
欲したものが すっぽりハマったのような今回の事件。

では誰が一番悪いのか?
もちろんこの佐村河内守という人が一番悪い、
そして、そんな人の思惑に従った ゴーストライターの人も悪い。
騙されたように言っている、被害者のように言っているテレビ局はどうだったのか?
見抜けた、見抜けなかった だけの問題なのか?
疑って見るわけではないけど、見えているのに見ようとしなかった、
見えているのに見えないことにしていたのではないか?
自分達が世に出してしまった以上、おかしいと後から気がついても 引くに引けないところはなかったか?
(そういうことは 絶対テレビ局は言いませんけど)
そして、買う側。 
買った人は自分のお金を出したのだから 一番の被害者といえば被害者でしょうが、
では なぜこの人のCDを買おうと思ったか?
テレビで見て、「素晴らしい、テレビがそこまで言うのなら是非聞きた」というのは人情でしょう。
それに、自分で買って聞かなければ 全部は聞けないのだから買ったのだし、
ではそれを買って聴いてどう思ったか?
この事件が発覚する前の この人自信や曲の評価は大絶賛されています。
悪く言っている人はだれもいません(自分が見える限りでは)
自分がそうだから 他人様もそうだとは言いませんが、(言えませんが)
本当に 心の底から 自分自身の 主観と感性だけで この人達の曲を良いと思いましたか?
そこに テレビなどから与えられて 先入観やどこかの偉い評論家さんが大絶賛した評価が
ご自身の感性に 刷り込まれていなかったか?

先に書いたように、自分には音楽に対して、そこまでの評価は出来ないし、わかりません。
ただ、垂れ流すように部屋に流して、それが自分に心地良ければ 邪魔にならなければ
良い音楽です。

自分も当然ですが、
なかなか 人は物の価値を見極めることは出来ません。
ましてや値段をつけることなど出来ません。
そこに 何らかの権威のある人、場所が 価値をつけた時
その物の価値(値段)は決まります。
今回の場合なら 再三言うテレビ。
テレビという権威が 佐村河内守という人の価値、値段を付けたのなら
結果として  その価値基準が働いて その人の商品(CD)を買わせたのなら
やはり、テレビという権威者は 罪が重い気がします。

もっと言わせて貰えれば、今の権威者は 非常に軽いというか 責任が薄い。
誰も 自分が言ったことに対して、責任を取らない。
一度発した 自分の言葉を 簡単に撤回する。
一度発した言葉は 絶対に消えない。
我々 一般人とは違う。権威のない我々ですら、相手 場所によっては 
人を傷つけ、自分の立場を悪くする場合は多い。
なのに、すぐに無かったことにしようとする、

また、我々もすぐ忘れてしまう。
自分に関係のないことなら なおさらすぐに忘れてしまう。

多分、これから もっともっと こう言う怪しい人は出てくる。
売った者勝ち、お金をつかんだ者勝ち、勝ったもの勝ち。
そういう世の中。
生きることや、お金を稼ぐのが みんながみんな上手いわけではない。
このゴーストライターの人も、非常に 生きることも お金を稼ぐことも下手
その下手な人に付け込む、権力者、権威者。
資本主義とは 弱肉強食。負けるやつ、付け込まれる奴が悪い という人はいるだろうけど
それでは あまりにも 心がない、愛がない。
人間社会とはそういうものではないはずなのに、

もう一度書きます。
今の時代を 象徴したような 事件。
表面だけを見て、誰が悪い、どこが悪い とだけ言って終わらせるのではなく
みんなが 考えたほうがいい話のような気がする。
 

大きいことは良いことだ

商売していて もう随分前からだけど、いわゆる客単価が下がっている。
お客さんはそこそこ いらした気がする日でも、閉めて見ると 売上金額がそれほどでもない日が多い。
レジのカウント数で売上を割ると なかなか1000円は超えない。
始めた頃の バブル期のことを言っても詮無いことだけど 
なかなか厳しい。
話が変わるけど 先日知り合いと 昼ごはんを食べるためにガストに入った
「本日のランチ」を食べたんだけど ご飯、スープ(セルフ)揚げ物 ソーセージサラダで500円弱。
始めて入ったから 安さに驚いた。
時間が時間なだけに 店は満席状態なんだけど、みなさんの食べているものはそんなものだし、
中には飲み物だけという人もいる。
途中で 自分たちの隣に来たビスネスマンは 飲み物だけでパソコン開いてなにかやっていた。
それでも1席。
だからか?フロアーをやっているのは2人。忙しそうにやっている。
セルフでできることは 客にやらせて、ランチはメニューを絞り 効率よく
って感じなんでしょう。
食べ終わって 一緒に行った人に「安くて驚いた」と言ったら
彼らはよく知っているみたいで、これが当たり前という感じで
若い人だから ずっとこの感覚みたい。
 
子供の頃「大きい事は 良いことだ〜」と言う 日立のテレビCMでやっていた。
民主党が この「大きいことがいいこと」を否定して政権をとった。
無駄をなくし、無駄使いをなくし・・・・。スモールベースボールならぬ スモール社会
民主党政権をとった前後は 大不景気で税収は落ち込み
今でも ズンズン増えていく国の借金
世の中に閉塞感が漂い、 無駄遣いは悪という雰囲気が漂っていたし
自分も アホみたいにバンバカ バンバカ公共工事をして
必要ない所にもお金をバラマキ そういう事はもう止めて
普通の家庭のように 入ってくるお金の中で 慎ましくても 健全な世の中が良いと
思った。
当然、無駄使いは悪だだし、無意味なお金の使い方は悪だと思うけど
世の中って、そればっかりではダメなんでしょうね。
個人の家計は 収入以上に使えば ただの借金 自分が苦しむだけだけど
国の中で使うお金は それがたとえ無駄使いでも そのお金が社会の中で回る。
そのお金が 付近の街や住んでいる人に回れば 商店にも回る。
 
どうも 世の中って こうやって お金って回っているから 世の中も回っているようで
今 アベノミクスで 大盤振る舞いして お金を出した、それによって 一部で
景気が良くなって ミニミニバブルのようになっている。
これが上手くいって、大きくお金が回り始めれば 世の中の景気も良くなり
今まで500円のランチしか食べなかった人も 700円、1000円 それ以上になっていく
そうなると お店も儲かって、商人も 儲かれば 壊れかけた冷蔵庫も買い換えようかというこになる
そうなれば 冷蔵庫屋さんも儲かって、そこで働く 従業員の人達の給料も上がって
また、お店で高いものを食べてくれる。

だから 「小さいことはいいこと」はダメで「大きいことはいいこと」なんだろうと思う。
でも それにはあまりにも 景気が悪い時が長すぎた
今の若者は 景気が良い時を知らない、生まれた時から景気が悪いと言われ続け
お金の使い方も小さいし、もうそういう感覚が 身についてしまっている。

それを思うと 彼らが40歳 50歳になって 日本を背負って立つ世代になっていった時
どういう感覚 センスで 国を動かしていくんだろう??
 
バブル期は団塊の世代が 国を動かしてきた
そして、今は我々50前後の人が一応中心、だけど我々世代はダメな世代
我々の上は団塊の世代、 その世代の言うことを「はい、はい」と言って
従っていればうまくいっていた、
我々の世代は 使い走りの 「走り(パシリ)世代」
よくテレビで 会社の不祥事とか何かのトラブルで謝っているのが我々世代
聞くと カネボウの話を聞いていても 「なんで もっと早く対処しなかったの?」と思うけど
ああ言うのを見ていても 結局 親分世代がいなくなってしまって 
今まで親分が判断してくれていたのが 今は自分で判断しなくてはいけないんだけど
そういう訓練を 若い時代から 言いなりでやってきた世代だから やってきていない世代。 

だから自分が思うに、早く我々世代がいなくなって 今の35歳以下の人達が
日本の中心になって やっていく時代にならないと 多分日本は上手く動いていかないような気がする。
そして 今の20代の若者が 40歳くらいになった時 今とはまた違った感覚、価値観 センスで
国を動かしていくだろう。
人が入れ替わる あと 20年、30年は今のままかもしれない。
30年後は 自分は80 何とか運がいいと生きているかもしれない
頑張って生きて どんな世の中になるのか 今の若者がどんな活躍をするのか
見てみたい気もする。 


 
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