洋菓子店ラ・パニエ お菓子日記

ラ・パニエの仕事、新作ケーキ ケーキ屋の裏話など・・。

岩手県大槌町に行ってきた。

P1040449P1040451P1040453P1040454P1040455P1040457P1040458P1040459P1040460P1040461P1040462P1040464P1040465P1040466P1040467P1040468P1040469P1040470P1040471P1040473P1040474P1040475P1040476P1040477P1040478P1040479P1040480P1040482P1040483P1040484P1040486P1040487P1040490

経済動向調査

昨日 商工会から「経済動向調査」という依頼があって答えました。
要するに、うちの経営状態はどうですか?と言うもので、決算書とかを見せるものではなく、自分の主観で答えるものでした。こんな依頼が来るのは初めてで、ショボショボ商売のうちが答えて、それが調査結果に反映されて良いのか?と思いながら、ましてやこの季節、良い答えが出来るわけもなく。というか、もう季節関係なくこの先もずっと良い話なのど出来るはずもなく、悪くなっても良くなることは無いと思っている自分。
そこで、ネットでこの「経済動向調査」と言うのを調べてみると、各地の商工会が それぞれでやっているんですね。
最近ラジオの経済コーナーを聴いていると、いろんな調査があって、GDP速報値とか、家計消費指数とか、機械受注統計調査とか消費動向調査 他にもいろんな調査があるみたいですけど、こういう調査って昔からあったんでしょうかね??
頭が悪いから そういうのを見に行っても、なかなかそれがどういうことなのかよくわからないんだけど、多分どこを見に行っても、日本経済は良くないと思うんだけど、
それにラジオを聴いていても 良い話など全然聞こえてこないんだけど、でもなんか FBで見るケーキ屋さんは 景気良さそうな感じがするから、悪いのはうちだけかな??と思ってみたり。聞きに来た商工会の人に 違う話もいっぱいしちゃいました。やっぱりね、可児市全体、住んでいる人全員がよくならないと、我々の商売に反映してこないから、そのためには・・・みたいな話。そんな話になると、やっぱり最終的には日本経済が良くならないと・・。の話になって、このデフレ感を何とかしないと・・・みたいな話になると、堂々巡りの話になります。

「でっ!結局何にが言いたいの?」

「でっ!結局何にが言いたいの?」と思ってください。
病院に行くと、若い人はほとんどいなくてお年寄り。リハビリなんか特にそうで、
車いすに乗った奥さんを杖を突いたご主人が押している。
それで奥さんをベンチ横に置いて、ご自分もベンチに座って、順番を待っている。
他に車いすに乗って、ほとんど反応のないご主人を奥さんが世話をしながら、
リハビリの先生がやってくれているリハビリの横についている。
そんなの人たちを見ていると、つくづく「切ないな」と思うし、
「人って なんて健気なんだろう」と思う。

読み方で 誤解を受けるかもしれないけど、
そういう人たちを見ていると、見た目は決して美しくはない、
「老い」「病気」で、例えるなら あんなに美しく咲いていたバラが、
その美しさの盛りが過ぎて、しおれだして、花びらに茶色い斑点が浮き出し始めたような、
どちらかと言えば汚くなりつつあるような。
でも、その人たちだって 当然 バラの盛りの時代はあったわけで、
それが時間の経過の中で 枯れかけている。散り始めている。
そんな 人間のはかなさ、時間の残酷さ。

昨日 小林麻央さんが亡くなられたというニュースを聞いて、
自分は 彼女のファンでもないし、彼女の人生には全く興味はなかったけど
病気だということで、ブログが沢山の人に読まれ、同じようなご病気の人たちの励みになっている
と言いうのは聞いていたけど、
冷たい言い方だけど、進行具合が時折 ネットに出てきて、「それ程遠くない時間で亡くなるんだろうな」と
思ったし、誰もがそう思っていたんだと思う。
だから、亡くなったという話を聞いても 来るべき時が来たということなんだけど、
あんなに元気そうで、明るくて、歌舞伎役者の人と結婚されて、子供にも恵まれて
いわゆる「人も羨むような人生」だったはずなのに、病気になって 見る見るうちに
ここでもあえて「汚い」と言う表現にするけど、あんなに美人だった人を 病気が見た目を汚くさせる、
癌、病気とはそういうもので、若くて、元気で ハツラツとした、生命力がみなぎっている人は、
容姿に関係なく美しいけど、やはり 病気、老いは それを枯れさせる。
そういう事も切ない。

昨日近くに用事があって、辞めたケーキ屋さんがあった店舗を見たら、当然「貸物件」の看板が立っていた。
その「貸物件」という看板を見たとき、やっぱり切なくなった。
先月まで 知っている人がやっていたお店は 今はもう もぬけの殻で、シャッターが下りて その前に「貸店舗」
街に出ると、普通に「貸店舗」と言う看板をよく見るけど、普段はそれを見ても 
前にどんなお店があったんだろう?と思う程度なんだけど、
その店の後を見ると、やっていたころのお店が頭の中で蘇って、
子供のころ、公園か広場で 近所の友達と散々遊んで、夕方になって家に帰ったら 忘れ物があるのに気が付いて
また、その暗くなり始めて 誰もいなくなった公園か広場に一人で戻ったら、さっきまであんなに楽しかった広場が、さっきまで見えていた公園とは 全く違う公園に見えて、切なくなった、寂しくなった やるせない気持ちになったことを思い出す。

人間の老いとか病気とか、死を見ると、生き物である以上 当たり前のことなんだけど、
切ない。
人間は なんだかんだと言いながら ブーブー言いながらでも、不平不満を言いながらでも
やっているとき、やれているときが 一番幸せ。
いずれは出来なくらるんだから。

生と死。ほんのさっきまで生きていたけど、その境を超えた瞬間 死。
さっきまで、生きる活動をしていた生命が その境を超えたら すべての活動をしなくなる。


閉店

ここ5年くらいで親しくなった隣町のケーキ屋さんが、今日で閉店されます。前々から ご両親のこともあるので、九州のご実家に帰るとはおっしゃってましたが、イイ感じの間柄で、お互い切らしてしまった材料をかりっこしたり、ロットの多い包材なんかを半分こにしたり、お互いの状況を話して納得しあったり、なかなかそういう同業の友達が近くにはいないので、閉店は残念でなりません。年齢的には 自分より5つくらい下なんですけど、素材を活かした よく考えたお菓子作りをする人で、旬のフルーツやご実家から送られてくる栗やベリー類を加工してお菓子にしたり、今どきのケーキ屋さんのように派手さはないけど、リーズナブルな値段設定で、可児市の人には とても良いケーキ屋さんだったと思うんですけど。そこの店がいかに良い店だったのかは、なかなか分かってもらえないでしょうが、うちでもそうですが、クリスマス前の喫茶で座ったお客さんが帰り際に、「うちもクリスマスケーキ頼まなきゃ。シャトレーゼで」と言って行ったその感覚。あれを聞くと、あ〜もう我々のような個人のケーキ屋(食べ物屋)は無くなるな。と思いました。
考えてみると、ケーキ屋もそうですが 食堂、肉屋、魚屋、八百屋、駄菓子屋、乾物屋、おもちゃ屋、衣料品屋・・・金物屋はホームセンターにやられました、名古屋圏は喫茶店がものすごく多くて、個人店も多いですが、喫茶業界も、コメダ、スタバなどのチェーン店が 個人店をなぎ倒しています。業種、業態そのものはなくなっていません、でも自分たち子供のころは専門の個人のお店で売っていたのが、全部資本のある全国展開っしている会社に飲み込まれていきました。その大手ですら 生き残りをかけて戦争してます。そんな状況の中で 当然後継者はいません。個人のお店は 業種関係なく それぞれの事情はあるでしょうが、自然消滅していくんでしょうね。

いじめ自殺

いじめ自殺と言うのが後を絶たない話で、この可児市にも 尾木ママさんが来て、「いじめは絶対してはだめだ」と 小学校、中学校を回って公演をされていったというのを聞きましたが、確かにいじめなどしてはだめだし、弱い者いじめなど 本当に腹の立つ話ですが、それでいつも思う素朴な疑問で、例えば、大人がある人の悪口を言いふらしたり、あまりにも酷いことを言われたら、名誉棄損で訴えることができますし、ましてや、暴力を振るったら、たとえビンタの一つでもしたら、即警察。では何で学校の中で 同じことが起きているのに それを警察に訴える。もしくは 証拠を揃えて、裁判を起こす。ことをしないのか?そんな 死んでしまいたいほど ひどい目に遭っているのなら、訴えればいいのにと思うんだけど。だから 「いじめはだめです」と言ってないで、もしそのようなめに遭ったら、警察なり、裁判所に訴えてください。って言った方が早い気がするんだけど。
それと これとは 違うのでしょうか?
最近は 過払い金請求の法律事務所の宣伝をよく聞くけど、昔ほど 法律事務所とか弁護士さんとかが、特別な話ではなくなっている気がするから、「こうこう、こういういじめに遭いました」と言えば、傷害事件として事件にしてくれるんじゃないかと思うんですけど、違うのかな〜?
それに、今は学校なんか 変えられるし、絶対行かなくてはいけないものでもないし。
死んでしまうのなら、幾らでも方法はあるとおもんだけど、
そのあたりの 逃げ道と言う言い方ではなくて、問題を回避する方法をもっと子供たちに教えておければと思うんだけど。学校とか先生とか教育委員会とか そんなのはどうでもよくて、なんなんだったら 学校 先生も含めて訴えることも出来る気がするんだけど。死なれてから訴えても遅いと思う。

卵の話

卵の話ですけど、少し前に卵を中沢乳業が出している液卵に変えました。卵の話をし始めるとすごく長い話になるんですけど、ケーキ屋にとって卵は言わずもがなの、主原料中の主原料。その卵を どんなのを使う?と言うことになると、悩みどころで、と言って うちのような田舎にあると 選別できるほど卵屋さんがあるわけではないから、来てくれるところから選別するんだけど、だから「選ぶ」と言うより、来てくれるところから取るということになって、その卵が 自分のイメージに合えばいいけど、卵屋さんだって商売だし、お客さんの注文にこたえるための卵の数合わせをする。そうなると、ありとあらゆるところから いろんな卵が入ってくる。だから新しいのか古いのか?どこの養鶏場で、誰が どんな風に育てた鶏から生まれた卵かなんか 全然わからない。だから割っていても、毎回感じが違う。同じように仕込んでいるつもりでも、なんか焼き上がりが違う時がある。「それは お前の腕が悪いんだ」と言われれば、そうなのかもしれない。
でも 厳密に考えて、主原料が違えば 上りも変わってくるのは当然のような気がする。
話がちょっと違うけど、生クリームのような 調整してあるものでも、時によって、「無茶苦茶 今日の生はうまい」と思う時と「なんで??」と思う時がある。
苺でも 1パックの中で、上手い苺と、そうでもない苺がある。パイナップルやメロンのような大きい果物は、上か下か、手前側か奥側かで味が違う。だから使う時は 果物その物を飾りなどで使う時は おいしい部位を。刻んで他のものと合わせてしまうものは そうでもない部位をと使い分けたりする。
そういう事を考えると、季節や環境やえさなど 諸々の条件で卵の本質が違ってくるのは当たり前だと思って、それを主原料で使うのだから、出来上がってくるお菓子の状態も変わってくる気がするんです。それに 今って卵屋さん自体が変わってきている気がして、「何が?」と言われると解らないんだけど、鶏のエサって ほとんどが輸入品、だから円の価格が如実に値段や、えさの質にも影響している気がする。もっと言えばグローバル社会の弊害。「そんな 大げさな。たかが卵くらいで」と思うでしょうが、卵だけじゃなくて、普通に食べる肉、野菜、魚にも、お米にだって その影響はある。
あと、卵の仕入れ値段もある。
以前、養鶏場の卵を使っていたけど、訳あって取引を止めたんだけど、確かにそこの卵は値段も高かったけど 良い卵でした。いわゆる拘り卵で、品質もある程度均一で、

大統領選の決選投票後に行われた抗議デモ

ちょっと的外れなことかもしれませんが、多分日本人にとって フランスって優雅で文化度が高くて、
歴史、芸術、美術など いわゆる「花の都パリ」ってイメージがあるし、電車に乗って 郊外や地方に行けば
のどかな田園風景が広がり、そんな中の街でも、中世から続く街で、料理店には 星を獲得した名店があって
お客さんは そんなお店で 優雅に食事をして 料理の話や芸術の話をして・・・・みたいな。
BSの外国旅番組で見ると そんなイメージがあります。
が、やっぱり 景気は悪いし、失業率も高いと聞きますし、そんな優雅にお食事なんていうのは
何処でも 一部の人たちだけってことでしょう。
そう思いながら、フランスで何らかのお店をやっている日本人の事を思うんですけど、
ケーキ屋にもそういう人がいて、東京にもお店を出している人がいますが、まあそういう人は
「フランス パリでも有名な日本人パティシエが出しているお店」と言うことで
フランスのお店の経営が大したことなかったとしても、イメージ、広告塔としてのお店で良いんでしょうが、
そんな後ろ盾を持っていない日本人オーナーは、大変でしょうか????
日本人が日本で商売しても大変なのに、外国に行って 外国で商売をする人って
本当に尊敬します。自分には絶対ない選択肢。
先週家族で行ったカレー屋は、全員インド人と書きましたが、家族なのか?
オーナーにしてみれば、家族ならなおさら、その20坪たらずのお店が、
家族全員の糧になるわけですから、年中無休で 夜も11時ごろまでやってました。
商売と言わず、会社もですし、国民の生活も 結局国あってのものですから、
国が揺れれば 国民は右往左往。
難しいことは解りませんけど、国の指導者と言われる人たち、それに携わっている人たち
もうちょっと 目線を落として、国民生活を もっとよく見てほしいです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170508-00000010-jij_afp-int.view-000大統領選の決選投票後に行われた抗議デモ

親愛なるヘレンへ、幸福な結婚とは様々な手の一生の物語であるように思います。
それはまず、相手のキラキラする金の指輪をはめる震える手で始まります。
そして相手の恥ずかしそうな手をそっと握りしめる手。
混雑した街で、あるいは映画館の中で握り合う手。
ふざけて相手のお尻をポンとたたく手、
ウエーブした髪にそっと置く手。
そしてそう度々はないけれど、相手への怒りで握りしめたこぶしの手。
生まれたばかりのちっちゃな手を包み込むうっとりした手。
お腹を空かして待つ人たちのために夕食をこしらえる忙しい手。
落胆している手をそっとたたいて励ます楽観的な手。
相手と喜びも悲しみも分け合う手。
病む手をさする健康な手。
肩に置かれた優しい手。
 ”あなたが必要な時は、いつでもここにいますよ”
 という意味を込めながら・・・・。
悲しみに打ちひしがれた手を支える力強い手。
涙にぬれた手に指をからませる、同じように涙にぬれる手 。
祈りの気持ちを込めてつなぎあう手。
そして最後に、もう動かなくなった手の指から、光の失せた金の指輪をそっと抜き取る
震えた手。 

職人の世界は ブラック

敗北倒産

ホワイトデー

さくら野百貨店

こういう時は 納入業者と従業員さんが気の毒だと思う。 ポイントがどうなろうと、それに比べたら ガッカリはわかるけどしょうがない。 言わずもがなですが、お店はお客さんが来て、買ってくれないと いくら老舗でも潰れるときは潰れる。いくら惜しんでくれても、やっていけないほどの収支なら しょうがない。閉まるしかないのは当然で、こうやって競争の中で お客さん自身が 郊外型の新しいお店を選択したのだから、淘汰されていくのが商売の掟。 お店を切り捨てるお客。お客を切り捨てるお店。 お店とお客の関係は 今でいう ウインウインの関係が ずっと続くと良いですけどね。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170228-00000021-mai-bus_all.view-000

働く

娘が働き始めてもうすぐ丸2年。娘の周りで1年、2年で仕事を辞めてしまう人が出始めた。それぞれの理由があるだろうから、辞めてしまう事に対してとやかく言うつもりは無いし、入って働かないと その仕事の内容は分からないからしょうがないけど、思うに、日本の中で働こうと思うと、すごい大雑把だけど、「物を作る仕事、物を売る仕事、事務仕事、サービス業、後は我々の様な職人で自営業」どんなジャンルの仕事でも、最初の4つで構成されていて、自分たちの様な自営業は、自分で全部やらないといけない。人が雇えれば、その人に4つの中のどれかをやってもらう事になる。会社に入ってみて、やらされる仕事が自分には向いてないとか、もっと違う仕事をやりたくなったとか、もっと言うなら、入った会社では実現できない 自分なりの高見を目指すとか。そう言った理由があるのなら、辞める理由になるかもしれないけど、よっぽどブラック企業なら仕方ないかもしれないが、ただイヤだ、辞めたい、と言う理由だけで辞めても、自分でやらない限り、人に雇ってもらうなら、書いた4つの中のどれか、もしくは重複でやらされる。それに 取り扱う商品が変わるだけで、どこに行ってもそんなに変わりはしない。移ってよかったと思うか、移らなければよかったと思うかは、その人自身が感じる事だから分からないけど、仕事だから、稼がないと生きていけないのだから、良くても悪くてもやっていくしか無い訳で、どこかに根をはる様に属さないといけないのだから、イヤだイヤだとは言ってはいられない。若い時は いかに自分が恵まれた組織に属せたかがわからない。
40過ぎたら、もう次のところは非常に難しいらしい。
つまり自分達に次の仕事は無いと言う事で、すでに良いも悪いも言ってはいられない。選択肢はない。

カルテット

「カルテット」っていうドラマを観ていて、その中で出てきたセリフ「志のある3流は4流」って。ぐさりと来た。

キンカン

image

浜松でキンカンを仕入れてきました。
買えば500g100円で、凄く安いんだけど、車を走らせていると、誰にも見向きもされないで、沢山なっていました。
ウチは10kgもあれば十分だから分けてほしかった。

浜松 かんざんじ荘

IMG_0160
IMG_0162
IMG_0165
今日は、風は強いけど 良い天気IMG_0164

別に高級な所に泊まっているわけでもないし、1万円もしないプランでも、だから飛び切りな物が出て来るわけでも無いけど、それで十分。家族で来て、同じものを食べて、同じものを見て、それが 幸せじゃない。

浜名湖 かんざんじ荘

image
image

浜松市舘山寺

image
image

image

清水富美加「にじいろジーン」降板決定 関テレ「このような結果は残念」

この人のことを とやかく言うつもりはありませんが、
人が社会の中で生きていると、人それぞれの 立ち位置と言うか、座っている席と言うか、
その人がいるから、他の人には座らせない席。
芸能界であろうと、スポーツ界であろうと、一般的な会社であろうと
我々のお店だってそうで、座っていた席を離れれば、その席はたいていほかの人がすぐに座る。競争の中で追い落とされるということだって十分あります。
その人ではなくてはならいないという席は、なかなかない。親が自分の子供の親であることとか、
逆に子供にとっての親と言う以外は、思いつかない。
それくらい、自分の席と言うのは 危ういというか、はかないというか。
別にこの人がいなくなったところで、今は 契約的に仕事的に大騒ぎするけど
そんなのは今だけの話で、現にすでに 彼女の席には 別の人が座ろうとしている。
芸能界と言う競争の激しい世界だから、離れた瞬間 誰かが座って、二度と自分が座っていた席には戻れない。自分の代わりなどいくらでもいる、
それが 解ってか解らずか?
人それぞれの人生だから、この選択が良かったか、悪かったかは
彼女自身が これから自分の人生として 味わっていくことだけど。
自ら離れてしまった席は、座りたくても座れない人のほうが 断然多いということなんですけど、
自分がこの年齢になってきたからなのか?
自分はですが、思ったほど 自分が座れる席の選択は多くはなかったということです。
別に 今座っている席に不満があるわけではありません、誤解なく。
ただ もうちょっと 計画では良い席になるはずでした。
清水富美加「にじいろジーン」降板決定 関テレ「このような結果は残念」

美濃加茂市で栽培したブラッドオレンジ

ピコ太郎また1つ夢かなうサマソニ出演 日本人唯一

Categories
Archives
livedoor×FLO:Q パック